自立する職業人の就職勤務・起業・経営技術の認識-『就職勤務・起業・経営技術読本』1〜7

1 自分の人生と、職と経営と、経営組織

 自分の人生の中で、経済的な要件を確保していくための方法は、今日では、なんらかの職業を選択して、それにたずさわることを通してそれを確保していくという方法が基本的なもので、基本的にはその職業を、会社などの事業所勤めに求めたり、自分で何らかの事業の経営を行っていくこと、に求めていくことになります。

 昔は、職業(何らかの分業を前提にした、恒常的に営んでいく経済的な仕事)そのものが成立していなかった時代や、職業選択の余地が無かった時代などもありました。

 * "事業"は、組織的・継続的に社会的な仕事をしていくことで、一人で行っていく場合もありえますが、通常は、幾人か、あるいは多数の人が組織的に集まって、継続的に行っていくものこと、言えるでしょう。事業所は、その場所のことです。

 この、職業を選択してそれにたずさわっていく、というときに、確認すべきことは、必ず、その職業を、そこで経営が継続的に行われている、そのようななんらかの組織の中に求めていく必要がある、ということです。

 あたりまえだ、と言えるのであれば、引き続いてこの後をチェックしながら読んでいただければ幸いです。

 * "組織"は、以下では、仕事をしている人々の何らかの秩序のあるまとまり、と考えます。

 官公庁組織の場合にも、たとえば給与の確保・支給という点を見てみても、やはり、経営が継続して行われていると言えるでしょうし、また、自分自身が社長兼唯一の従業員であるという一人事業組織の場合にも、やはりそこでも経営が継続して行われている、と考えることができます。

 さらに、少なくとも今日では誰も、自分の選択する職業が所属することになる組織の経営が、継続して成り立っていくことを根本的な支えにして、自分の職業を選択していかなければならないはずです。(個人事業経営の場合は、自分が一人だけの場合でも、組織と考えてそこに所属していると考えて、
 * 本当は昔からそうであったはずですが、今日ほど一般的に広く、また強く意識される時代はなかったと思います。

 しかし、これまで多くの人たちは、たとえば会社や官公署勤めを自分の職業として選択するときに、勤め先の経営についての詳細な検討をすることなど、しないで選んできていました。

 また、先代の事業経営を引き継いだり、新たに自分で事業経営を始めたりして、自立して経営をしていくことを自分の職業として選んできていた人たちでも、たいていの人は、経営についての基本的な教育など受けないままで、その経営を引き継ぎ、あるいは開始してやってきていました。

 しかし今日では誰も、自分の職業を選択してそれにたずさわっていくというときに、その職業がそこに所属することになる組織の経営について、次のような基本的な事柄を、考えておく必要があると思います。
(なお、これまで職業という言葉を使ってきましたが、組織の中に所属する職業という意味を強調するために、以後、"職"という言葉を使っていきます。)

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 「自分の職を選択してそれにたずさわっていくときに、自分の職がそこに所属することになるその組織の、経営に関して、なんらかの関与を−たとえば関心を持っみていく、ということだけでも−していくべきか。また、何らかの関与をしていくべきだとすれば、どのように関与していくべきか。」

 「自分が選択する職が所属することになる組織の、経営とはいったい何だろうか。」

 「自分が主体的に、たとえば個人事業組織を起こして、あるいは会社その他の協働事業組織を起こして、その経営に取り組んでいくことを選ぶ場合に、その経営に関して、基本的にはどのように取り組んでいくべきなのか。」
          ***

 この読本は、このような問いに答えるための試みです。

 組織が、その経営を継続して維持していくために必要な経営の取り組み方についての、ミニマム・エッセンシャルズ(最小限度の必須事項)を、現在時点で、力の及ぶ限りまとめてみたものです。



2 社会の中でのさまざまな経済活動と、経営と、経営組織との関係

 前節で述べたことと重なりますが、今日では誰も、自分の人生に必要な経済的要素の確保手段として、基本的に、なんらかの職を、なんからの経営が行われている、なんらかの組織の中に求めていっています。
 * その組織の、一番小さいものが一人事業経営組織だと考えられます。

 言いかえれば、あらゆる経済活動は、今日では基本的に、なんらかの経営が行われているさまざまな組織を一旦経由することを通して行われている、と言えます

 経営は、大きな組織では、国(中央政府)や、国際機関や多国籍企業や大企業などで行われ、小さな組織では個人事業組織で行われ、中位では、地方自治体(地方政府)や中小会社や政府以外の公的団体などの組織で行われている、ということができます。
 経営は、人間社会の中で大昔から普遍的に行われてきたはずのものですが、その役割は、今日いずれの組織においても、より意識的にそれに取り組んでいくべきものとして、増大してきていると思います。

 "経営"とは、少し長くなりますが、また、今日、という条件付きでですが、次のようなものだと考えることが可能です。
 経営とは、「人々が、各自自分の人生の経済的要件(生きて生活していくために必要な−衣食住など必須の物質的要素を中軸とした−要件)をよりよく確保していくためにさまざまな産業に組織立てられつつ分化してきて行なっている活動(経済的活動)の中で、自分自身が従事していない(他の一つ一つの)産業部分(職業ないし職)の仕事の成果を取得していくために、自分自身が従事している職の仕事の成果を他の職に従事している人々に対して、(そのための基本的な媒介手段としての金銭を介在させて)交換的に供給していく活動を、組織立てて行なっている、その組織を維持していく活動部分のことを指す言葉である。」

 そしてその組織は、一般的に経営組織といってよいと言えるので、経営とは、「経営組織を維持していく、さらには必要に応じて拡幅していくための活動である」と言ってもよいと考えます。

 そして、今日、人々のあらゆる経済活動と、経営と、経営組織との関係については、要約して、次のように言うことができると考えます。
「あらゆる経済活動は、今日、経営が継続的に行われている大小の人々の組織、すなわち経営組織を一旦経由することを通して、それぞれの経営組織の仕事の成果が、金銭を媒介物として介在させて、交換的に取得されていくことを中軸として行われている。」

 この読本では、上記のような−基本的な、と考えられる−意味で、「経営」、及び「経営組織」という言葉を使います。

* (大雑把な言い方ですが)昔は、そして今日でも少なからず、他の経営組織の仕事の成果を、交換的に、ではなく、戦争を含めて暴力的に取得するということが、かなり頻繁に行なわれてきていたようです。蜂の社会で、他の蜂の集団(人間で言えば他国に該当する経営組織のようなもの)を襲ってその仕事の成果を−幼虫などを含めて−取得することがあると言われているように。
 今日では、人間がより人間らしくなってきて、そのような取得は少なくなってきています。いずれ無くしていくことができるかもしれません。


 なお、経営組織を一旦経由することによって行われていっている、その経営組織に所属してその職の活動を行う個々人の仕事の成果は、その組織外の社会との間で行われてその成果が受け渡しされるときには、その組織外の社会からは、その経営組織自体が行う仕事の成果の受け渡しであると考えられて、行われてきています。

 この読本でも、その経営組織の仕事の成果の、その組織外の社会との受け渡しは、"たしかに一旦経営組織を経由して行われているけれども、それは、個々人の仕事の成果の、その組織を一旦経由しての受け渡しである"ということを強調する必要があるところ以外は、"経営組織自体がその仕事の成果(経済活動成果)を、その組織外の社会との間で受け渡しする"という言い方をしていきます。
 * 大差ないように見えますが、本当はここのところが、経営の維持と向上にとってとても肝心な部分だと考えられるのです。



3 経営と金銭と商品との関係
 ──補足事項として、信用について

 人々が職にたずさわっていくことによって生み出されていく経済的な成果は、今日では基本的に、一旦すべてその職が所属している組織に帰属するものとされたうえで、それと前後して、その職が所属している組織から、その職にたずさわっていく人々に対して、基本的には最低限度の生活費を最低基準とした、その各職の活動に対する一定の金銭的評価に基づいて、定期的に金銭で配分されていっています。

 このことと、経営とは何かを考え合わせてみると、"自らの職が所属する組織の経営が、継続して維持されていくためには、その組織の中で職の活動にたずさわっていく人々に対して、基本的には最低限度の生活費を最低基準としたその各職の活動に対する、一定の金銭的評価に基づく、定期的な金銭の支給を、継続して行っていけるのでなければならない"と考えられます。

 さらに、この要件が、"組織の経営を継続して維持していくための、まず第一の基本的な要件"だと考えることもできます。
 * 一人事業組織である一人事業者の場合には、その経営を継続していくことを前提に考えると、"各職個人がその職にたずさわることによって生み出される経済的成果が、一旦すべてそこに帰属させられ、かつそれに前後して、一定の評価に基づいて一定割合の金銭をその各職に配分していく、その組織と、その組織に所属して自分の職にたずさわっていく各職個人との、最低二役を意識的にこなしていかなければならない"というのが、その具体的なありようだと考えられます。

 経営組織において、安定的に経営継続がなされている場合には、必ずこのように行われている、と言えるでしょう。

 なお、繰り返しになるかもしれませんが、この一人事業組織の場合には当然、その職の活動に対する一定の金銭的評価として、その経営組織が定期的にその支給を確保していくことが必要な最低基準の金額は、その職にたずさわる個人、すなわち自分自身とその の最低限度の生活費の金額ということになります。)
 人数的に大きな規模の経営組織でも、一人事業者の経営組織でも同じでしょう。

 このように考えてくると、組織が経営を継続していくためには、今日では特に、次のような要件がさらに必要になるということが、言えるのではないでしょうか。

 それは、"その組織に所属する人々がその職にたずさわっていくことによって生み出すべき経済的な成果の基本的な部分は、それを、組織外の社会へ供給していくことと引き換えにして、組織外の社会から継続的・定期的に一定額の金銭を受け取っていくことができるように、供給していくのでなければならない"という要件です。
 * 官公署の組織の場合のように、 "そこで生み出されていく、経済的要素を含む仕事の成果(物)の供給が、その供給を受けるための金銭の支払の、直接の相手方に対してだけではなく、広くその地域の人々に対して一般的に、ないし間接的になされるという場合" も含めて、ですが。

 言いかえると、経営組織が、その組織の役職員に対して給与を定期的に支給していくためには、その組織に所属する役職員の仕事の中に、"その組織外の社会の需要に対して応えて、その供給と引換えに継続的・定期的にその組織の役職員に対して支給していくべき給与の金銭額を受けられるような何か"がその基本的な要素として必ず含まれなくてはならないし、しかも、"その供給と引換えに、実際にその金銭額を定期的・継続的に確保していかなくてはならない"という要件です。


 このような、"経営組織の経営を維持していくうえで必要な、その組織に所属する職の活動に対して支給していくべき金銭を、定期的・継続的にその組織が受け取っていくために、その組織外の社会の需要に対してその供給と引き換えにして定期的・継続的に金銭の受取をしていくことができるような、その組織に所属する職の活動(仕事)によって供給していくべき何か"とは、どのようなものでしょうか。

 それは、まず第一に、"商品"と呼ばれているものである、と考えることができるでしょう。
 * この、商品の中には、物だけでなく、その代金を支払う必要のある、有償のサービスも含まれます。このサービスとは、人の行う"一次的には他人のための"活動(仕事)のことです。

 また、物であっても、その物の全体や、数量的な一部ではなく、その物の"働き"の部分だけを切り離して、それを代金と引き換えに供給できる物−すなわち、代金を受け取って有償で"貸す"ことのできる物−の、その"働きの部分"もこの商品の中に入れられるでしょう。
 具体的には、賃貸不動産や、賃貸機器や、金銭や、人材派遣の人材などの、それぞれの物や人の、"働きの部分"です。)

 そして、商品の次に、さまざまな商品価格の平均値±α(若干)の価格を持つと考えることのできる、"公的サービス"(ないし公共サービス、とでも呼ぶことのできるもの)である、と言うことができるでしょう。
 
* この"公的サービス"とは、政府の、ないしはその直接間接の支給金銭を得て行われる政府以外の、たとえば公益的な法人など、公的組織のサービスのことです。
 税金その他の公課金は、その間接的な代金だと考えることが可能です。
 公的サービスの供給の場合にも、他の経営組織から生み出される商品と同様に、その組織に所属する職のすべての人々──及びその被保護者数──の生活費が、その基礎的な価格になっていると考えることができます。


 なお、寄付金だけがその活動を支える金銭であるような、ボランティア組織などの組織が供給するサービスも、公的サービスの一種と考えることも可能だと思います。
 * 寄付金も受けないで行われる無償活動の部分は除いて、それらの組織を経済的に支えていく寄付金も、その供給するサービスの、間接的な代金であると考えることも、できないことはないと思います。

 公的サービスの供給と、その一般的、ないし間接的な代金と考えられるもののことについては、この読本では、これ以上触れません。


 "商品"とは、今日、一般的には、経営組織がその(商品の)態様を明確にして、その供給代金すなわち価格を表示し、あるいは、経営組織がその(商品の)態様を明確にしたうえでその価格を交渉で決めて、その組織以外の社会の需要者に対して、その価格の代金と引き換えに供給していく、物やサービスのことを言います。
 * 前に述べたように、"貸す"という経済活動は、物や人の"働きの部分"をもとの物や人から切り離して、その部分(だけ)を供給していくということなので、この、物や人の"働きの部分"は、供給していくべき"サービス"ではなく、"物"の方に含めて、考えていきます。

 経営組織がその経営を継続していくために、という観点から見て、その経営組織にとって、
"商品"とは、"その経営組織外の社会に対して、その供給と引き換えに一定の金銭を受け取っていくために、その組織に所属する職の活動(仕事)の基本的な成果として、生み出していくことが必要な、物やサービスである。"と考えることができます。


 なお、ここで細かく見れば、たとえば‘仕入商品’は、経営組織が経営を継続していくために‘基本的成果として生み出していくことが必要な’という観点から見ると、それだけでは(ここでいう)商品ではなく、経営組織が商品を供給していくための材料・資源にすぎないと言えます。
 ‘仕入れるべき商品’を、需要に応じて供給材料・資源として仕入れて、それぞれ一まとまりの商品としてその態様を明確にして店頭に展示し、あるいはその広告チラシをまき、さらには配送したりして顧客に供給していくというような、その経営組織の活動の成果がすべてその中に含まれた結果が、ここでいう商品です。

 同様に、単に製造加工しただけの‘製品’も、この、経営組織がその経営を継続していくために‘基本的成果として生み出していくことが必要な’という観点からみて、やはりそれだけでは(ここでいう)商品ではなくて、経営組織が商品を供給していくための材料・資源にすぎません。
 設計し、材料・資源を仕入れ、製造加工をしたうえでそれぞれ一まとまりの商品としての態様を明確にし、説明書を支度し、包装し、運送したりしてその顧客に供給していく、というような活動の成果すべてがその中に含まれて、供給された結果が、ここでいう商品です。

 より正確に言えば、商品とは、"その経営組織外の社会に対して、その供給と引きかえに一定の金銭を受け取っていくために、その組織に所属する職の活動(仕事)によって生み出されていく物やサービスの中に含まれている、その経営組織に所属するすべての職の活動(仕事)の基本的な成果そのものである。" と言えると思います。
 * この章での以下の説明は、「経営と金銭と商品との関係」の「総体」を説明するために、その「部分部分」を、視点を変えて説明していっているものです。

 このように、あらゆる経済活動は、今日では、基本的に、さまざまな経営組織に所属する人々がその職にたずさわっていくことによって生み出していくその経済的成果が、すべて一旦その経営組織を経由して、かつ、"'一定の金銭をその受け渡しの媒介物として受け取ることが想定されているもの"として、すなわち"商品"として、他の経営組織を含むその組織外の社会との間で、(直接的・間接的に)受け渡しされていくことを通して行われている、と考えることができます。

 見かたをかえて言えば、あらゆる経済活動は、今日では、基本的に、さまざまな経営組織に所属してその職の経済活動にたずさわる各人が、その経営組織を経由して、その経営組織が組織外の社会からその供給していく商品と引き換えに受け取って確保していく金銭の、その一定部分相当の金銭を受け取っていく、というありようで行われている、と考えることができます。

 さらに視点を少しかえて言えば、あらゆる経済活動は、今日では、基本的に、さまざまな経営組織に所属してその職の経済活動にたずさわる各人が、その経営組織を経由して受け取っていく金銭の、その一定部分と引き換えにして、(今度は)他の経営組織からその経済活動の成果を受け取っていくことを通して、自らの経済的要素を確保していっている、というありようで行われているとも考えることができます。

 さらに視点をずらすと、あらゆる経済活動は、今日では、少なくとも日本などでは、基本的に(金銭を、社会のあらゆる人々の経済活動成果の受け渡しの、基本的・普遍的な媒介物としている)市場経済システムのありようで行われていて、かつ、その市場経済システムは、基本的にすべて、経営が行われている大小の経営組織を一旦経由して行われている、と考えることが可能だと思います。
 このように、"経営と金銭と商品との関係"については、経営組織の経営維持の観点から要約すれば、次のようなことが言えます。

「市場経済システム社会の中では、
"金銭"は、"経営組織の経営"を維持していくためにどうしても必要なものであって、何より、その経営組織を構成している人々の職の活動(仕事)に対して、定期的・継続的にそのうちの一定額相当の支給を行っていくために、定期的・継続的にその組織外の社会から、経営組織を構成している人々の職の経済活動の成果として生み出して、供給されていく商品と引き換えにして、確保していかなければならない、最も基本的なものである。」

「同じく市場経済システム社会の中では、"商品"は、"経営組織の経営"を維持していくためにどうしても必要なものであって、何よりその経営組織を構成している人々の職の活動(仕事)に対して、定期的・継続的にそのうちから一定額相当の金銭の支給を行っていくための金銭と引き換えに、その組織外の社会の需要に応じて、その組織外の社会に対して定期的・継続的に、その経営組織を構成している人々の職の活動(仕事)の成果として、生み出して、供給していかなければならない、最も基本的なものである。」

              
              
 ──契約と信用について──
 〔経営と金銭と商品との関係の、補足事項として〕 
 商品と、その代金の金銭とが、同時に交換されて受け渡しがされることは、その交換の、基本的なありようでしょう。
 しかし少なくとも今日では、同時に行われずに、どちらかが後先になって受け渡しがされるという交換のありようが、少なくありません。
 
* 商品と、その(商品)代金とを交換することそれ自体をも、また、商品とその代金の交換の約束(契約)をすることをも、今日一般的には、"取引"と呼んでいます。「取引」は、経営上では、広くは「契約」のことを指していますが、今日主要な取引ないし契約は、商品とその商品代金とを交換する契約なので、これを中心に考えることになります。
 また、代金を引き渡して商品供給を受ける側の人、あるいは経営組織を、"顧客"と呼びます。これに対して商品供給をする側の経営組織を、一般的には"事業者"と呼んでいます。


 代金と商品のどちらかが、時間的・時期的に後先になって受け渡しがなされるという取引は、経営組織が、経営を継続していくうえで"代金受取時期の遅れはあっても商品供給をすることができるということの方を優先して選ぶ"場合と、逆に顧客が、"商品供給時期の遅れはあっても、その経営組織からその商品取得ができるということの方を優先して選ぶ"ような場合に行われる取引でしょう。

 このように、商品とその代金との互いの供給の、どちらかが時間的・時期的に遅れて行われる取引の場合に、先に供給する側は、後に供給する側の供給の約束を信用して、その供給を行っていることになります。

 経営組織が、このような、後に供給する側の供給約束を信用して先に供給をするという取引を行う場合に、(特に、商品の)先行供給をすること、あるいはその先行供給をする約束をすることを、今日一般的に、相手側に対して"信用"を与える、と言っています。
 
つまり、"信用"とは、今日、一般的には、後に供給する(つまり支払をする)側の"金銭"供給の約束を信用して"商品"を先行供給をすること、あるいは、後に供給する側の金銭供給の約束を信用して、商品を先行供給する約束をすることです。

 また、商品とその代金との互いの供給の、どちらかが時間的・時期的に遅れて行われる取引を‘信用取引’と呼ぶことが可能ですが、この言葉は主に、‘証券取引’と呼ばれている株式などの売買取引の中で使われいて、ほかでは普通、使われていません。

 金銭の貸借取引は、"各種の商品を、特に、「必要な時に、あるいは欲しいその時に」買うことができる"という、金銭の社会的な"働きの部分"を、商品として、"その代金"と交換に供給する取引であると考えられます。
 "その代金"は、"利息"と呼ばれるものになります。(借りた元々の金額は、"代金"ではなく、借りた物そのものです。この金額を"元金"といいます。)

 金銭の貸借取引をその主なものとして、"物の働きの部分を 「貸す」"という商品の取引の場合には、特に、その商品の性質自体から、信用(の授受)を伴う取引としてなされることが、基本的なものになりす。


 この、"信用"の授受を伴う取引を行うということは、前に述べたように、約束をすることを伴う取引ですが、今日では全世界的に、そのような約束をするということは、単に道義的な約束をするというだけのことではなくて、基本的にはすべて、その約束に伴う「法律上の定めを承知して行われたもの」だとされて、すなわち「契約」として、(あらゆる経済活動が)行われています。

 なお、経営組織がその顧客との間で行う約束は、文書にしても、しなくても、基本的には、すべて「契約」だとされて、(あらゆる経済活動が)行われています。

 
経営組織にとって"契約"をするとは、"その契約で約束されたことが実行されないときには、その約束が実行されたのと同じ状態を、どちらの側にも共通の、法律の定めに従って、公的な強制力を伴って(可能な範囲で)実現できることが保証されている約束"をすることであり、これが、経営組織が契約をするうえでの、法律的な、最も重要な点である、と言えると思います。               

 今日、経営組織がその経営を継続的に維持していくためには、この、信用を伴う取引の結果については、単に会計的な金銭収支の観点からだけではなく、その取引の、基本的な法律上の効果(効力)を知っておいたうえで予測しておかないと、大きな間違いをしてしまうことがあります。

 より詳しくは、後の9章(法律認識)で述べます。


4 経営組織の経営維持の基本的な要件


 これまで述べてきたことから、今日、経営組織がその経営を維持していくために必要な基本的な要件は何か、をまとめてみると、それは、"その組織に所属して職の活動にたずさわっていく各人に、その職の活動の成果配分として支給していくべき金銭の必要量を、定期的・継続的にその組織以外の社会から、その経営組織が生み出して供給していくべき商品と引き換えに、受け取っていくことができる"という要件だと考えられます。

 それでは、その要件を、実践的に実現させるための、一番基本的であるような要件が考えられるとすれば、それは何か、を次に考えてみます。

 それは何より、その経営組織が、そのような必要量の代金の定期的・継続的な受け取りと引き換えに供給していくことのできる商品を、その市場の顧客たちの有効需要に応じて継続して供給していくとともに、その代金を実際に受け取っていくことのできる−経営維持力ともいうべき−力を、その経営開始と、経営継続の中で、蓄積して維持していくという要件である、と考えられます。

 具体的に、そのような力の蓄積と維持のためには、どうすればよいのか。

 基本的には、他のものごとに取り組むのと同じように、(1)まずそのために必要な基本的な認識を、自分で考えて必要だと考えられる一定水準の所まで学び、(2-1)そのうえで計画を立てて、経営維持に必要な数量の(商品供給)代金金額の、定期的・継続的な受取確保と引き換えに自らが供給していく商品に対する、経営組織外の(市場の)顧客たちの"有効需要"(すなわち、代金支払をしてくれる需要)の大きさと、その経営組織が有するその商品供給にについてのその市場の認知度を調べて測りつつ、(2-2)その商品を実際に生み出し供給していける力を蓄え、さらに積み重ねていく、とともに、(2-3)その商品供給代金の受取確保を、実際に継続して行っていきつつ、それをしていくことのできる力を蓄えていく、という段取りになるでしょう。


 以下では、今日の日本で、このような‘経営維持力’ともいうべき力を蓄え、状況や時代に対応じてそれを維持していく上で、この力の要素になると考えられるような、認識や技術の内容と、その水準について述べます。
 また、その力を蓄えるための具体的な方法についても述べてみます。



5 経営での直観的な要素と科学的な要素と技術との関係

 この5章では、経営における直観的な要素と、科学的な要素と、技術との関係、について、それらをどのように位置づけて考えていくべきか、について取り上げてみます。
 (この章は、余談・息抜きとして読んでいただいてもかまいません。)

 ここでは、‘直観’という言葉を、‘勘’という言葉と同じような意味で使います。おおざっぱな定義ですが。‘直感’という言葉で言い換えてもかまいません。(もう少し正確に言うと、おそらく、直感は自分自身の体験全体のその時その状況で直接、体験あるいは意識として把握するもので、直観は自分自身の体験全体の中の心(と呼んでいる)部分で(主に)把握するもの、のように思います。

 ‘直観的な判断や行動’というように使われる‘直観’は、その時に行っている判断や行動を、"その時体験している精神(ないし意識)の総体、あるいは、その総体的なものに基づいて行っているという、そのときの心・精神(ないし意識ないし行動)のありよう"であると言うことができるように思います。
  * この辺りは息抜きにならないかもしれませんが、余談として読んでいただければ幸いです。

  「知識」や「認識」は、そのとき以前の体験、ないし体験の中の意識の対象について、少しでも考えた(検討した、と言ってもよい)行動の結果としての記憶である、と言うことが可能だと思います。
  * 知識や認識は、それぞれ、なんらかの実践的目的を持っている精神・心(ないし意識、ないし体験)の一つだと思われますが、知識は、そのなんらかの実践的目的から相対的に離れて見た、それ自体の内容を問題にしている場合の言い方、認識は、より近づいて見た、実践的目的の観点から見た言い方であると言えると考えられます。
 記憶は、そのときの体験でそれを意識している、ないしは、そのときの体験でそれを意識する可能性があると考えられる、過去の体験である、と言うことができると思います。


 
科学的な知識や認識とは、要約すれば、「体験的に検証可能と考えられる(一般的には、客観的な、と名付けられている)、法則性についての知識や認識である。」と考えてよいのではないかと思います。
  * もう少し詳しく言って、科学的な知識や認識とは、意識対象の存否や変動の中に見いだすことができて、しかも体験の意識の中でその意識対象そのものと照らし合わせて間違いないと体験しうる−すなわち体験的に検証可能である−と考えられる、その意識対象の存否や変動の法則性−それも、規則性や傾向性といった要素をも含む法則性−についての知識や認識である、と言うことができるように思います。
 また、一般的な定義の中に含まれている、「組織的・系統的な取り組みによって」という条件は、その法則性自体の、検証可能性に属する要件ではないかと思います。
 さらに、数値的あるいは量的に測って検証できるということは、必ずしも科学的な知識や認識の要件ではなく、(その検証の正しさは問題になりうるので、数量的に測れて検証できるという条件が付けばその部分の正しさはより確かなものとなるでしょうが、)体験の意識対象そのものと照らし合わせて間違いないと体験できる知識や認識なのであれば、それは科学的な知識や認識である、ということもできるのでないかと思います。
 このような、数値的あるいは量的に測って検証できにくい−将来的には数量的に測ることができるかもしれない−科学的な知識や認識も、たとえば、機械化することが困難な技術を獲得するような場合には、有効でありえ、また必要になりうると思います。(科学という用語を、このような意味で規定しているもの、とも言えますが。)



 経営組織の経営を維持していくという活動は、単純作業的なだけの活動ではなく、その時々の体験からの直観的な(これは、"直感"的なを含むものとしての意味で。直観は、体験の中の主に心の中の部分、直感は体験全体のそれであるものとしての、その)要素を働かせて、さらに創造的な(これは同時に想像力を働かせることが必須の、そしてそれはさらに追加して言えば、現実の体験の中の様々な対象についての残像を、心の中で再構成して把握して活用していくような)活動の一つですが、今日、その経営組織の経営の維持のために、科学的な要素、すなわち科学的な知識認識や、それに基づく技術を使うという要素を学んだり導入したりしてそれを生かすことなく、もっぱら直観的な、さらには創造的な要素だけに基づいてそれに取り組んでいくことだけでは、不十分であることは、直観的にも、また自分自身の過去の経験を反省しても(省みても)明らかだと思います。

 しかし、直観的な(さらには創造的な)要素を働かせていくことなく、もっぱら学んだり導入した科学的な知識・認識や、技術だけに基づいて経営に取り組んでいく、ということでも不十分だということも明らかでしょう。

 
* 経営上で、普遍的に当てはまって、科学的にその正しさが十分に検証できているという有益な法則性の知識や認識でも、それはあくまでも過去の体験の意識対象を基にしてそれから導き出されている法則性の知識や認識なのであって、現在の体験の中で行動目的を実現していくためには、そのとき現在の体験の中の生の"情報"を直観的に(自分自身の体験として、と言ってもよいものとして)つかんでいくという要素も、つねに、明らかに必要であると考えられます。
 さらに、個別的・具体的な経営組織の、個別的・具体的な状況で発生してくるどのような個別的・具体的な問題に対しても、すべて普遍的に当てはまって、科学的にその正しさが十分に検証できるような有益な法則性の知識や認識を獲得することは、不可能だ、ということは、これは、自分自身の過去の体験の検討をしてみれば、明らかだと思われます。
 このような意味での"情報"は、なんからの実践的目的意識から見た体験の中の意識対象である一部分、すなわち、なんらかの実践的目的意識から見た事実である、と考えることができると思います。
 コンピューター技術の発達した今日では、一般的に、そのような目的的意識対象の一部としての事実の中で、数値的な要素を持っている(すなわち数値的要素で区分できる)ものをデータと呼んでいる、と言えるようにも思われます。


 また、実践的目的(意識)の実現のためのなんらかの計画(プラン)や、その目標などは、特に長期的な目的実現のためには基本的に不可欠なものだと思いますが、これも、科学的に確かな知識や認識や技術に基づいて作成される必要はあっても、これ自体は、直観的な、さらにいし創造的な要素を働かせて、はじめて生み出すことができるものであるはずです。

 直観を働かせて行動していくということと、科学的な知識や認識を学んで、生かして行動していくということの、両方の要素が、たいていいつも必要であると言えるのではないでしょうか。

 次に、経営組織の経営を維持していくうえで学んでおくことが必要な知識や認識と、獲得しておくことの必要な"技術"との間には、どのような関係があって、それぞれをどのように位置づけていくべきか、について述べます。

(現在の生の必要情報がそれによってはじめて得られるにしても、)失敗や、間違いが生じやすい‘直観的な働きを生かして’という活動の要素に頼らなくてもすむような活動の 
ありようを、"技術"と呼ぶことができると思います。
  * この活動は実践的・目的意識的活動なので、「行動」と言う方がいいのかもしれません。

 経営上で、技術に置き代えることができて、その技術の実行として行っていったほうがよりよい活動の部分については、その技術の実行に置き換えて実行していくべきである、ということも、今日明らかでしょう。

 技術については、さらに、それを機械化することができて、その機械の操作として行っていったほうがよりよい活動部分については、そのように、その機械操作に置き換えて実行していく方が、より有効であるということも、今日明らかです。

  * 基本的には、これら技術や機械によって置き換えることができる活動は、相対的に単純作業的な活動です。しかしこの置き換えによって、直観的ないし創造的な要素を働かせる活動の成果をより生かせることになります。

 この5章の内容を要約して言えば、次のようになります。

「経営組織が経営を維持していくためには、科学的な知識認識も学んで生かして、かつ直観的な働きも生かしてその経営を行っていくべきであり、さらに、直観的(それは同時に創造的かつ想像力を働かせる想像的)な要素の働きを生かしていくためにも、技術の実行として行っていくべき活動部分はそのようにしていくとともに、機械化してその操作の実行として行ったほうがよりよい活動部分もそのようにして、経営を行っていくべきだ。」

 そして、
"経営技術"とは、「このように(直感と技術を活用)して経営を行っていく上で(それを認識して活用していくことが)有益な、技術の総体である。」と言えるでしょう。
 


6 自立経営維持が可能になるための経営組織の専門的技術力の内容と水準

   * この6章以下の章で、経営維持と言わずに、「自立経営維持」というふうに言うのは、単に強調の意味です。

 この6章では、経営組織の経営維持力の一番根本的なものと考えられる、その経営組織に特有の専門的な技術力の内容と、その組織が自立してその経営を維持していくために必要な、その水準のことを述べます。
 また合わせて、その力を蓄えていくための具体的な方法についても述べてみます。

 ここでの"専門的技術力"とは、経営組織が、その経営組織外の社会に対して、その経営組織でこそ供給していける商品を継続的に生み出していくための技術力の意味です。
 これを簡単に、専門的技術力という言い方で呼びます。

 もう少し具体的に言うと、経営組織が供給していくべき商品へのその組織外の社会の有効需要の測定をしつつ、その有効需要に対して供給していくことのできる商品を実際に継続して生み出していくための能力であって、そのための技術として置き換えることができた範囲での、その技術的な力のことを指すものです。

 もう少し見かたを変えて言うと、この専門的技術力は、有効需要を前提にして、その経営組織でこそ供給していける商品を継続的に生み出していくうえで、その経営組織が蓄積して維持している力であって、(必要な要素ではあっても失敗を生みやすい)直観的な要素に頼らなくてもすむような技術に置き換えられる活動部分を、その技術の実行ないし操作に置き換えることができているという、その経営組織にとって基礎的な力になっている技術的な活動部分の力のことだ、とも考えられます。

 
そのような"専門的技術力の、基本的な要件"が、あると考えられます。

 それはまず、経営組織の商品供給が継続できるためには、"その顧客たちから、いずれかの経営組織から代金を払ってでも供給してもらわないとならない、あるいは、いずれかの経営組織から、代金を払ってでも供給してもらうほうが(自分自身でそれを生み出すよりも)よいと認知される商品を、実際に生み出して供給していくことができる"、という要件を持っていなくてはならないはずです。
  * もう少し短く、‘その有効需要を持つ顧客たちにとっての商品性−すなわち商品としての質−を持つ商品を、実際に生み出して供給していくことのできる専門的な力の要件’と表現することもできると思います。

 この「商品性のある商品を生み出して供給していくことができる」専門的な力は、経営を継続して維持していくためには、基本的には、その職に所属して仕事を行う個々人の直観的な要素に頼らなくてもすむような技術に置き換えることができている、その(技術に置き換えることができている)部分の力、すなわち専門的な技術力になっているのでなければならない、と考えられます。
  * もっと要約すると、‘その有効需要を持つ顧客たちにとっての商品性を持つ商品を、生み出して供給していくことができる専門的技術力の要件’と表現できると思います。

 次に、経営組織の商品供給が継続できるための要件の中には、やはり基本的に、さまざまな、かついずれかの経営組織から供給されるさまざまな商品への、それらの経営組織外の市場社会が持っているさまざまな質と量の「有効需要」に対して、"他の経営組織が供給できる商品と同等かそれ以上に、その需要に対しての質のよい商品であって、かつ他の経営組織が供給できる商品と同等かそれ以上に低い代金で供給できる商品を、その経営組織自身が、その経営組織の商品の「総体」というありようで、継続して生み出して供給していくことができる"という要件が含まれている、と思います。

 
* "有効需要"は、経営の実践的観点からは、"支払可能な人が持っている、金銭の交換的供給(支払)をしてでも取得したいもの(対象)に対する需要(ないし要求ないし欲求)"である、といえると思います。
 "商品"は、この"有効需要"の対象として経営組織から供給される、その仕事の基本的成果物である、ということもできるでしょう。



 この、商品の質と、代金額とは、商品性があるという質を最低限度の質として、相対的な関係にある要件だと考えられます。そして、この要件もまた、経営の継続的な維持のためには、基本的に専門的な技術力になっているのでなければならないでしょう。

  * この要件は要約して、‘他の経営組織が生み出して供給していく商品との、代金面を含めた比較優位性ないし同等性のある商品を継続して生み出して供給していくことができる専門的技術力の要件’と言うことができると思います。


 なお、ここで確認しておかなくてはいけないことは、その経営組織が持っている専門的技術力と言っても、それはあくまでも、その経営組織に所属して活動していく個々人の持っている専門的技術力の、その総体としての専門的技術力でしかないという点です。
 個々人の専門的技術力とその総体としての力を抜きにして、たとえば、その経営組織を構成している個人(あるいはその経営組織に入っている個人)は誰でもよく、とにかくどんな個人でもその中に入って職の活動を行ってくれれば、その経営組織自体がその専門的技術力を働かせることができるということは、ありえません。

 その中の一部の人はどんな個人でもよい、ということはあるかもしれません。しかしその場合には、その他の個人については、それを補うような専門的技術力が不可欠です。

 補足すれば、その経営組織が使用している機械がどれほど高度な専門的技術性能を含んで稼働しているとしても、その経営組織が持っている専門的技術力は、その経営組織が持っている機械が、有しているわけではありません。
 技術力は、あくまでも、その機械を設計・製作して使用できるようにしたり、その機械を購入したり借り入れたり、その機械を動かしたりして、商品性と比較優位性の高いその商品を最終的に生み出して供給していくことのできる、その経営組織に所属して職の活動を行っていく個々人が持っているものです。

 経営組織は、そのような個々人の専門的技術力の総体としてのみ、その専門的技術力を持っているにすぎないと考えられます。
  * そのような専門的な技術力を持っている人が、一人だけだという場合であっても、です。
 たとえば、ある経営組織が、誰にでも使えてかつ専門的技術性能の高い機械を購入してそれを使うことができていることにより、商品性と比較優位性の高い商品を生み出して供給していくことができているとしても、それだけのことであれば、他の経営組織でも、そこに所属する個人がその機械の専門的技術性能を知り、かつ購入のための資本を集められさえすれば、その専門性を失うことになります。
 このような機械を使用するうえでの専門性はただ、その経営組織に属する個人が、商品性と比較優位性の高い商品を生み出して供給していくために誰にでも使えてかつ専門的技術性能の高い機械の存在を認知しているかどうかという点、そして、それを使用するために資本を投入できるかどうかという点にのみ、存在しているだけです。
 専門性は、機械にではなく、その機械を選択し使用する個人と、その個人の協働の中にのみ存在するものでしょう。


 ここで、経営組織がその経営を維持していくために一番根本的な要素として必要になると考えられる、このような、個々人が持つ必要がある専門的技術力の、その"水準"としてはどの程度のものが必要であるかについて考えてみます。

 これは、個々人が共通して持つべき技術力の水準というよりは、その経営組織に所属して職の活動にたずさわっていく人々すべてに、その職の活動の対価として支給していくべき金銭の必要量を、定期的・継続的にその組織外の社会から、その代金として受け取っていくことのできるような商品性と比較優位性のある商品を、その経営組織が、その組織に所属して職の活動にたずさわっていく人々の総体として実際に生み出して供給していくことができるような、その職に属する個々人の持っている技術力の、総体としての水準であると考えられます。

 このような、商品性と比較優位性の高い商品を生み出して供給していくことのできる専門的な技術力を、その経営組織に属する個々人がその総体として蓄えるためには、具体的には、どのようにしていくべきか。
 これは、その個々人の持っている興味・関心や向き・不向きなどに応じて、そのような専門的な術力の蓄積を、実際に選択的に実現させることができるように、次のような活動を選択していくことになると考えられます。

 
その経営組織に所属する職の個々人が総体として、商品性と比較優位性の高い商品を生み出して供給していくことのできる専門的技術力を蓄えるために必要な具体的な方法
  * 以下、個人一人経営組織の場合には、基本的に、自分自身がそのすべてを蓄える必要があるので、自分自身に対して、ということになります。

1) そのような専門的技術力を蓄えるために必要だと考えられる資格や能力の検定試験の合格に向けて勉強や修業をさせて、さらにはその資格を取得させる。

2) そのような専門的技術力を蓄えるために必要であると考えられる経営組織に実際に勤めさせて、そのような専門的技術力の要素・要件を学んだり、習得させる。

3) そのような専門的技術力を蓄えるために必要であると考えられる実際の経営組織から直接・間接に得られる情報、たとえばその事務所や店舗や工場やそこで職の活動にたずさわっている人々やその業界紙の情報などから、そのような経営組織の持っている専門的技術力の要素・要件について考えた上で、そのような専門的技術力の要素・要件を蓄えるために必要な、具体的な行動計画を立てて、実行していく。



7 自立経営維持に必要なマーケティングと、そのためのマーケティングリサーチ技術の内容と水準
  (いわゆる商品開発・宣伝広告・営業活動と、市場調査について)


 (T) 「マーケティング」は、要約していえば、"その経営組織の各商品が、その有効需要を持つと予測される顧客たちに購入されていくことを通して、目標の収益収入(売上高)を確保していくことができるように、その「商品態様」の調整をしつつ、その経営組織外の社会(市場)の見込顧客たちに対して、その商品購入への働きかけをしていく活動"ということができると思います。(短縮して、"商品態様(下記*)の調整を伴う市場の有効需要見込顧客たちへの商品購入への働きかけの活動" と言えるでしょう。)

* 「商品」には、物の商品の他、サービスである商品も含まれます。サービス産業と言われる産業のサービスも、自由業と呼ばれる産業のサービスも含まれ、また、建物を貸すときの「建物を貸す」というサービスと同じように、金銭を貸すときの「金銭を貸す」というサービスなども含まれます。(「役務」商品とも呼ばれることがあります。)

* 「商品態様」(commodity embodiment)は、一定の代金の支払いで得られる(一定の代金との交換で得られる)対象としての商品の現実の態様、言いかえると、顧客側から見てその単価(単位価格)が判断できる程度にその質と量が具体的に把握できる商品の態様(ありよう)という意味です。サービス商品の場合も含みます。



 次に、(U) マーケティング〔のための〕リサーチ(調査観測)とは、経営組織がマーケティング活動を行っていくうえで必要で有効な情報調査をして、その活動の効果を予測する活動のことであり、主に、その経営組織のその各商品への、市場見込顧客たちの見込「有効需要(有効購入需要)」総金額と、それに対する認知及び選択割合を、調査して予測する活動のことだと言えるでしょう。

* 「有効需要」は、その商品の代金のその供給契約上の条件での支払能力のある需要。
(クレジットカード・ローンでの支払の場合にはクレジットカード・ローンで支払われる商品の供給側では基本的に現金支払と同様になりますが、クレジットカード・ローン契約で供給したその金銭の元金と利息の支払については、その金銭の供給契約−クレジット・ローン契約−では、担保−いわゆる「信用」を含む−があるかどうか、どの程度有効な担保か、が問題になるので、それを見込む必要があることになります。)



 まず、経営組織がその経営を維持していくために必要な、その経営組織自身が持っているべきマーケティングリサーチの技術の内容とその水準は、次のようなものになると考えられます。


自立経営維持のために必要なマーケティングリサーチ技術の内容と水準

[基本的内容]

(1)自己経営組織実績情報と、関連情報でのもの

 具体的な基本的内容としては、まず、その経営組織が経営継続をしてきているのであれば、それまでのその経営組織の把握できる限りでの商品種毎の売上高の金額について、それが、市場での他の(家計もその一つとして含む)経営組織との間で、どのような経営組織にどれだけの金額で売上高を確保してきているかの、可能な限りの長い期間での把握をし(この把握のために作成する表を「経営連関表」と名付けてこのサイトの中に例示しています。
− Home − メインメニュー − V現在の業務関連特記情報 − の、(6)経営計画作成実行状での経営連関表の作成活用方法と、関連する産業連関表(国・地域等)・国民経済計算(表))、可能な限りでのその市場に関わっていると考えられる公開された各種「産業連関表」の数値との照合をし、各商品種の購入頻度を含めた可能な限りのその根拠を把握して、その経営組織のその各商品種への、市場見込顧客たちの見込「有効需要(有効購入需要)」総金額と、それに対する認知及び選択割合についての、今後少なくとも3年間程度の各年度毎の予測金額を推計する。


(2)類似業種経営組織の統計調査実績推計情報と、関連情報でのもの

 新規起業や、新商品種についての場合には特に必須なものとして、参考にできる官公庁や業界や大学などの統計調査資料を参考にして自己経営組織と類似業種経営組織の、把握できる限りでの商品種毎の売上高の金額について、それが、市場での他の(家計もその一つとして含む)経営組織との間で、どのような経営組織にどれだけの金額で売上高を確保してきているかの、可能な限りの長い期間での把握をし(これについても、上記(1)で述べたような、この把握ために作成する「経営連関表」と名付けた表を作成することが有効だと思いますが、現状ではまだ対応できていません。)、可能な限りでのその市場に関わっていると考えられる公開された各種「産業連関表」の数値との照合をし、各商品種の購入頻度を含めた可能な限りのその根拠を把握して、その経営組織自身のその各商品種への、市場見込顧客たちの見込「有効需要(有効購入需要)」総金額と、それに対する認知及び選択割合についての、今後少なくとも3年間程度の各年度毎の予測金額を推計する。


(3)個別商品種でのテスト結果推計情報と、関連情報でのもの

 個別商品種に関するものとして、アンケートや商品の試験供給などを、その範囲を選択して特定したうえで行い、それらのフィードバック(回答意見)など結果を参照して、可能な限りでのその市場に関わっていると考えられる「産業連関表」の数値との照合をし、その商品種の購入頻度を含めた可能な限りのその根拠を把握して、その経営組織自身のその商品種への、市場見込顧客たちの見込「有効需要(有効購入需要)」総金額と、それに対する認知及び選択割合についての、今後少なくとも3年間程度の各年度毎の予測金額を推計する。

[水準]
 その経営組織のその各商品種への、市場見込顧客たちの見込「有効需要(有効購入需要)」総金額と、それに対する認知及び選択割合についての、今後少なくとも3年間程度の各年度毎の予測金額を推計することができる、という水準。


 次に、マーケティング(商品開発・広告宣伝・営業の各活動)そのものの基本的な技術のことについて。

 経営組織がその経営を維持していくために必要な、マーケティングそのものの基本的な技術の内容と、その水準は、次のようなものになると考えられます。

 なお、それぞれの時点でのそのマーケティング活動の必要・有効性の程度は、その経営組織が供給していくべきその「各商品への、その市場見込み顧客たちの見込み有効需要総額の大きさとそれに対する認知度を掛けた数値」に、反比例ないし逆累進して高いものになる、と言えるでしょう。

自立経営維持に必要なマーケティングそのものの技術の基本的内容と水準

[基本的内容]

(1)「単位価格」がいくらであるかをセットにした商品態様の各商品の内容を次のように創造していくこと

 マーケティングそのものの技術の基本的内容に関して、まず第一に基本的な条件と考えられるのは、その内容を考えてみれば明らかだと思いますが、その時点のその(自分自身の)経営組織の供給していくべき各商品に関して、その経営組織の置かれている市場状況のもとで、「できれば維持保有していたいそしてさらに取得したい金銭を、支払ってでも取得したい、あるいはしなければならない、(商品態様のある)その各商品への見込み有効需要の総金額」の「内容と単位価格が」、それらを購入する経営組織(家計を含む)に対して他の経営組織からも供給されることのある同一あるいは同種あるいは類似商品の内容と単位価格との関係でも、「どのような内容のものであるか」、という条件だと考えられます。

 つまり、「単位価格」がいくらであるかをセットにした商品態様の各商品の内容を、「できれば維持保有していたいそしてさらに取得したい金銭を、支払ってでも取得したい、あるいはしなければならない」が、「他の経営組織からも供給されることのある同一あるいは同種あるいは類似商品の内容と単位価格との関係でも」購入する経営組織にとって値打ちがあると思われるようなものに創造すること−さらにそのように継続していくこと−が基本的内容として要請されていると言えるでしょう。

* 単に、価格が、でなく単位価格が、というのは、各商品の一回の購入量とその購入頻度を掛けた金額が売上高に集計されることになる、その一回の購入をするときの最小の購入量の価格なのでそのように述べておきます。

* この単位価格を幾らにするかに関しては、(京セラ名誉会長・KDDI最高顧問の稲盛和夫さんが繰り返し言っている言葉ですが) 「商売の秘訣は、お客さまが納得して喜んで買ってくださる最高の値段を見抜き、その値段で売ることです。」という言葉での基準が参考になると思います。

* 芸術作品などでは一個だけという商品になるのでしょうが、この場合でも、それを手元におきたい思いの他にも、他の同種あるいは類似商品の購入、さらには別種の各商品全体の単位価格当たりの購入量を確保できると思える金銭の維持保有をしておく、などとの対比をしたうえで購入されていると考えられるので、同じ考え方ができるのではないかと思います。


(2)広告宣伝の取組みを次のように進めていくこと

 経営組織の他の仕事への取組み時間との対比の下で、それぞれの時点で必要・有効と考えられれば、取組み時間設定・対象範囲設定・関係資材(商品そのもの・商品説明パンレット・経営組織そのものの広告宣伝パンフレットなど)の調整・広告宣伝の方法設定などの広告宣伝計画を立てて、一番取組みやすいものから、(a)-携帯端末形式を含むインターネット、(b)-SP(セールスプロモーション)媒体と呼ばれる、看板・名刺・口頭での話題提供・自社自動車表示・電話帳広告・折込チラシ・イベント実行・キャンペーン実行・ダイレクトメール・フリーペイパー・交通広告(駅・電車などの広告)・、(c)-マス媒体と呼ばれる、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどなんらかの媒体(物質的な仲介手段)を選択的・複合的に使って、その各商品の内容とその単位価格が、その経営組織の供給各商品種に対する見込(予測)「有効需要(有効購入需要)」のある顧客経営組織たちに、必要・有効なかぎり広く、かつ記憶に残るように認知されるように、働きかけていく。


(3)供給・購入契約直接獲得の取組み−いわゆる営業活動を次のように進めていくこと

 経営組織の他の仕事への取組み時間との対比の下で、それぞれの時点で必要・有効と考えられれば、取組み時間設定・対象範囲設定・関係資材(商品そのもの・商品説明パンレットなど)の調整・直接か代理(卸等)か媒介(紹介)かそれぞれの複合とするかの契約獲得のチャネル(流通経路)設定などの営業活動計画を立てて、直接、その商品を取得する見込みのあることが推測される有効需要者顧客たちに、その供給(顧客にとって購入)契約の取得を働きかけていく。

自立経営維持に必要な会計技術の水準と内容へ