作品からの認識ノート見出しへ戻る / Homeへ戻る
 
日本国憲法の誕生ウェブサイト  所属する国の、現行憲法誕生の物語に関する情報サイトです。日本を取り巻く世界の、戦争とテロリズムと民主主義と平和の今後について考える上で、参考になる重要資料だと思います。

 焦点になっている、憲法9条の改正の当否に関しての現在の個人的な意見を、当ホームページの - Home - サイトマップ - U現在の業務関連特記情報 - トピックス(法制度) - 20040731(1)『前提の明証性のための、憲法9条での「戦争」・「武力」・「戦力」及び「国際紛争」の一応の定義、並びに憲法9条の改正の必要性』)の記事の中で述べています。

 このサイトは、国立国会図書館から提供されているようですが、その中で、国立国会図書館の独立行政法人化の当否に関わって、「国立国会図書館法」が引用してありました。(2007年1月9日現在分として。)法の前文を見ると、
『国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。』
とありました。名残としてでなく、土台としてこの意思が役立ってほしいと思います。(20070217)

 戦争と軍事侵略などについては、より強力と考えられる軍事力(「殺人機器力」と私は呼んでいます。)を保有し使用できるようにすることによってではなく、戦争や軍事侵略の実際の有無やその発生蓋然性確率のできる限り正確な認識(上記の−「日本国憲法誕生ウェブサイト」の中で述べられている−「真理」と言ってもよいと思われるもの)を必須の前提にしての、その実際の戦争や軍事侵略やそれらの発生蓋然性確率を減少させていくための、殺人機器は極力使用しないですむようにするための取り組みをしていくことによって抑止し、減少させていくべきだと考えています。

 戦争や軍事侵略の実際の有無やその発生蓋然性確率のできる限り正確な認識を抜きにして、たとえば、最強の殺人機器力となる核兵器を大量に保有し行使できるようにしていること、そしてしていくことが、実際の戦争や軍事侵略の抑止になっており、今後も予防抑止力となって戦争や軍事侵略の発生の減少に役立っていく、とは、世界の現在の実際を見ても、また、たとえば殺人行為の実際の有無やその発生蓋然性確率の−自然災害のそれを認識するのと同様にの−できる限り正確な認識を抜きにして、個人としては強力な殺人機器力となる機関銃のような武器を大量に保有し使用できるようにすることが、殺人行為の実際の抑止になり、さらには予防抑止力になって殺人事件の発生の減少に役立っていくとは考えられないのと同様に、考えられません。(20140705書換、20140927追記後。)

 国土・領海の確保も、まず国民の安全を護り、その上で国際法に基づいて、であるべきだと考えられます。

 この、法律(国際法)における物理的強制力は、戦争の際に使用される殺人−専用、と言ってよい−機器力ではなく、その法律の目的を実現させるために、最終的に個人である人間の選択によって限定されて使用される力だと考えます。(殺人機器力も、最終的に個人である人間の選択によって使用される−あるいはその使用が廃除される−ものですが、この使用には限定がないと考えています。)

 国連の軍事力(やはり「殺人−専用−機器力」)も、一人一人の人間を警備するための「警備力」のような力の範囲内のものにしていくべきだと考えています。(20141015追記。)

 それも具体的には、そのために、軍事力でなく、「自分をも、自分にも、人を殺させない」ための「警備力」の機器のその力の範囲内のものに、かつその力を行使するための範囲内の組織にしていくべきだとも考えています。(20150506さらに追記)

 そして将来的に、この地球上の一人一人の、大多数の人たちの、できれば基本的にすべての人たちの、認識に基づく生き方の選択によってそうなっている、ようにしていくべきだ、とも・・。(20160116さらに追記)

 
作品からの認識ノート見出しへ戻る / Homeへ戻る