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サイト内情報の全体の要約・・です。

    (A4用紙で2枚。スペースは大きく取ってあります。)

1. まず、当事務所で取り扱っている業務の内容を、順を追ってより詳しく表示するように、項目を分けてリンクを表示して述べています。

2. 2番目に、生活と仕事の取り組みを具体的に進めていくうえで役立つ、基本的な、法律にかかわる認識と、その経済的な面での取組みの有効な認識について、できるだけ物語のように読んでいただけるように、と心掛けて述べています。「認識」は、「行動するときに役立つように記憶される知識」だと考えています。別のページで「できるだけ理解して知ったこと」とも述べていますが、理解して知ったことは忘れにくいし、行動する際に役立つので、同じような意味になると思います。

 そして、 「さまざまな認識は、その一つ一つが、というよりはどちらかと言えばその総体が、人生のそれぞれの時点で、人生の幸福に関わる形で、基本的には有効なものになっていく(場合によってはその逆になってしまうこともある)」 のではないかと思います。


3. 最後に、「サイト運営ノートメッセージ」などの中にノートしてきた、幸福の観点からの人生の質を高めること−できれば束の間のだけではないような幸福に近づくこと−に関する認識の幾つかを掲載しています。螺旋(らせん)的に、さらには紆余曲折しながらでも、総体としてその観点からみてより高いものになってきていると、今の時点で考えています。


注: 1)  このサイト内の掲載事項(その主なものは、人生のさまざまな場面での行動のうえで具体的に役立つと思える法則性の認識の一つ一つだと思っています。)の一つ一つについてもなぜ?(なぜそうなのか)、と自分自身で考えながら、できればさらに、本当に?(本当にそうなのか)、とも考えながら読んでみていただけると、幸いです。作成するときには、できるかぎりそのようにしてきています。

 また、実践で検証した結果、不十分であった法則性の認識、間違っていた法則性の認識については、できる限り確認できた時点で訂正してきており、またしていく予定です。

 「なぜ?」は、疑問のある点に関してその証拠を(確認できない、ということを含めて)自身の体験の中で確認することになり、「本当に?」は、その証拠を、(その認識の適用範囲内でどのような状況でもそうだと)体験の結果に基づいて再確認することになる、と思われるからです。言い換えると、その疑問に対する回答となりうる法則性の認識を再確認することになるからだ、と思います。(認識の中心的なものと言える)判断をする時には、ついでにでも、なぜ?、さらに、本当に?、と、自分自身で考えるようにすると、同じ原因で、その判断の確かさが増します。

 判断は、「前提」から「結論」を引き出す取組みだと思いますが、その結論は何よりその前提から引き出されるべきものであり、さらに何よりその前提を明確にすることそれ自体から引き出されるべきものだ、と考えられるからです。

 さらに、「なぜ?」は、何より体験している −自分自身を含む− この世界をより良いものにしようとする欲求に基づいて生まれてくる言葉であって、今現在はその明確な原因ないし理由が見いだせない場合であっても−全体として見て分からないことだらけのように見えていてさえも−その探求を続けていく取り組みは、これまでと同様、共通的に体験されている自身や他人を含むこの世界をより良いものにして把握していく基本的な力の一つになると、自身の全体験的に見て、思われます。

 考えているそのより良い世界とは、何よりも、戦争や犯罪による殺人や死刑などが極限まで減少し、殺さないまでも人間が人間を餌食にすることに何の感情も感じないように生きている人間が、できれば本人の認識にもとづいて、極限まで減少するような、そして一瞬や束の間だけではないできれば恒常的な幸福やその輝きをそこでできうる限り把握できているような世界に少しでも近づいた世界。


2) 以上の、「なぜ?」と「本当に?」との、 −私にはとても重要と思われる− 問いの理由に関わって、私の職業上の仕事の基本的分野の一つである裁判手続で、ある裁判官の言葉として雑誌の記事に紹介されていた印象深い言葉をここに引用してみたいと思います。
 「証拠は有限、主張(裁判当事者の言い分)は無限、主張は証拠に制約される。」 −という言葉(すなわち認識)− ですが、裁判と、科学(それも、科学的法則性の正しさあるいは確かさを検証する部分)とが、共通的な認識を持っている、という点が強く印象に残ります。
 この −裁判と科学とがそのような共通的な認識を持っているという− 場合に、その「証拠」は、人間に共通的に、しかもそれぞれの人の(その体験として確認できたものを再構成して把握する残像としてであっても)体験の中に確認できるものでなければならない、はずです。


3)  Minimum essentialsへ 向けて、ここに掲示している「認識」も「技術」も、それ自体としてもまた表現の方法にしても、まだまだ未熟なものですが、−「多くの人に共通に−その各人の認識の総体の中で−有効になるような認識の最小限」− といえるようなものにできるよう、少しずつでも改良していく予定です。


4) なお、当サイト中での「自立」という言葉の意味については、社会制度上の支援と、他者からの個人的な支援とを、基本的には誰もが必ず相互的に受けながら、その持っている能力と置かれた状況に応じて、少なくとも自分自身とその直接扶養する個人の可能な限り幸福な生活を、その時点での体験に照らして有効と考えられる認識とその総体に基づいて取り組んでいくことによって確保できている、という趣旨で、一言でいえば、「その生き方が自らの体験に照らした有効な認識の総体に基づいてなされている」という趣旨で使用します。



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