法律的紛争の予防と解決のための、基本的な法律関係法則性の認識−の要点
(1)〜(7) (A4用紙で7〜8枚位。できるだけ『物語風』に書いています。)
   
* 前書き−社会の中での法律的な法則性で、知っておくことが必須のものは何か、について

 * できれば、一つ一つの文章について、ついでにでも、なぜか、を考えながら読んでいただければ幸いです。なぜかを考えると、体験の中でのその証拠を(それが見当たらないということの確認も含めて)確認することになり、その認識の確実性を高められると思います。作成するときには、できるだけそのようにして作成してきています。

 法律的紛争の解決と予防のために、社会の中で実際に働いている"法律的な法則性"の中で、知っておくことが必須のものは、"社会の中での法律的な法則性であって、それを認識していることが明らかに有益であるもの、のうち、経験だけでは−特別に時間をとって学ぶのでないと、−自然にはなかなか認識できないもの"、ということになるのではないでしょうか。

 今日、それを認識しているといないとにかかわらず、社会人が、自立した社会人として生活をしていくうえですでに共通認識になっているものとして(それがすでに当然のこととして前提にされているものとして)、この日本の社会の中で、公の強制力を伴って働いている、基本的で重要な法律的法則性があると考えます。

 以下では、これについて、当事務所の仕事を通しての観点から、要約的に述べます。

(1) 法律と倫理との違いの認識と、その認識の有効性
 法律も倫理も、いずれも、"「それが正しい (あるいは少なくとも不正とはいえない) からということ (正義)」 をその根拠にした、この社会の中で働いている、社会的な規範(取るべき行動の基準)の一種である"といえるでしょう。いずれも、少なくとも精神的な強制力が、それを適用されるべき人間に基本的には働きます。

 倫理は、"各人が意思的に自身のために設ける社会的な規範だ" 、と考えることも可能でしょう。少なくとも倫理(規範)については、それに基づく他人に対する "権利" というものは、考えられないものです。
 自身の倫理(規範)に基づいて、他人にある行動への強制力を働かせたい、と考える場合でも、自身の倫理(規範)に基づく強制力を、その強制力を働かせたい当の他人自身の意思に関係なくその他人に対して働かせる、ということはできないと考えられます。
 その他人自身が、その倫理を自身の倫理として意思的に選択することによってその行動を取るように、その他人に働きかける、のが限度でしょう。

 これに対して、法律に関しては、その基準(規範)に基づく他人に対する権利というものが存在しえます。法律の基準(規範)に基づく社会的な強制力は、その強制力を働かせたい他人に対して、最終的には、その他人自身の意思に関係なく共通に適用されるべきものとして、働いています。

 生活と仕事上でのこの、法律と倫理との決定的な違いは、法律の場合には、その社会的規範に基づく強制力が、倫理の場合のようにもっぱら精神的・意思的な強制力として働いているというだけではなく、物質的・物理的な強制力をも伴って働いているという点にある、といえます。

 生活と仕事上で、法律的紛争の解決とその予防をしていくうえでは、言いかえると、自身の権利を確保していくうえでは、このことは、いつも確認しておきたい有効かつ重要な点だと思います。



(2) 共通認識としての基本的かつ明文の法律条文の確認、の有効性

 * 法律は、一種の通貨 (誰もが共通に使えるということが、社会的に共通認識となっている金銭) 的なものだ、と考えることも可能だと思います。但し、通貨そのものの一応の使い方は小学生でも認識していますが、法律そのものの一応の使い方 (それが生活の中でどのように働いているかの有益な認識) を得るためには、一般的には、もう少しの社会経験の時間と、その学習の時間が必須です。
 さらに、法律は、基本的にはその使い方を認識した度合いそのものが、その保有数量そのものですが、通貨は、少なくとも今日 (おそらく何より法制度的及びそれを支える現在の社会の基本的・大勢的な倫理的法則性に基づいて) 、必ずしもそのようなものではありません。


 "物質的な強制力をも伴う社会的な規範"である法律の効力は、今日の日本では、あいまいな基準によっでてはなく、基本的には必ず、明文の (つまり、書かれた文章で明示された) 法律の規定という基準に基づいて、働いています。

 そして、その明文の法律の規定は、本来正しい (あるいは少なくとも不正とはいえない) からということを根拠にして社会的な規範とされるべきものであって、社会の中で、誰にも共通にその意味が認識できるものとして、基本的には規定されています。

 (実際の裁判事例を判例といい、判例の中で権限に基づいて裁判官が行った裁判で示された明文の法律の解釈が、明文の法律の規定の、一般的・普遍的な・誰にもそのような意味だと解釈される意味とは一見して矛盾するような意味になる解釈がされる場合もありますが、その場合でもあくまでも、明文の法律の規定は一応正義を示しているものとして、言い換えると、明文の法律の解釈の一つであるものとして、できるかぎり矛盾が生じないように扱われて、たいていはその一見した矛盾に対する理由付けをも行ったうえで、その判決での解釈が示されているものです。)

 日本の場合には、−憲法及び (外国との) 条約という名前の法律を含めた−法律名が付けられた法律の、個々の条文の規定と、その総体が、このような法律だといえます。そして、法律の効力は、今日の日本では必ず、このように明示された法律の規定(その法律の明文の規定が委託している政府の命令なども含む)に基づいて働いていると言えます。

 専門家の場合でも、そうでない人の場合でも、法律問題という場合、その問題が、どのような明文の法律の規定に基づいて働くことになる問題なのか、その、明示させることのできる法律の規定を見出して、そしてその具体的な問題においてのその法律の規定の趣旨をよく確認することが、実際上まず第一に必要で、かつ有効なことになります。

 この場合に、その法律の規定は、一つだけの場合のようにに見えても、基本的には、一般的・普遍的に適用される法律の規定−たとえば憲法や民法の中のいつくかの条文−が前提になっていて、その前提のうえに、より具体的な法律の規定が適用されることになるので、一般的・普遍的に適用される法律の規定の中で、共通して前提になっていることの多い−たとえば憲法や民法の中のいつくかの−条文についての認識は、どのような法律問題の解決や予防の場合にも、共通認識として確認しておくことが、専門家以外の場合でも、市民生活上のトラブルや仕事での取引上の紛争の解決や予防のために、有利で、有効なことになります。

 そして、そのような、一般的・普遍的に適用される法律の規定の中でいつも前提になっているような−たとえば憲法や民法の中のいつくかの−条文などのうち、すでに一般的・普遍的に共通認識となっていると考えられるものは除いて、一見してそうではないものについて、"法律の規定による共通認識がそのようなものになっているということ"を確認しておくことが有益だと考えられます。
 このサイトのテーマ3の本文については、そのようなものとして、読んで確認していただけるよう、作成・公開・提案しているものです。
 


(3) 刑事法と民事法−刑事罰と民事強制執行との違いの認識の有効性
 生活と仕事上で、はっきり認識しておかなくてはいけない前提的な、法律的な紛争を考える際の認識の一つに、刑事法と民事法との違い、があります。

 刑事法は、刑事(刑罰の条件と内容と執行のための手続に関する事項)についての基準を定めた法律です。

 刑事法は、すこし長くなるので、飛ばし読みしてもらってもかまいませんが、 より具体的には次のような、"刑罰の条件と内容と執行のための手続に関する事項"についての、それぞれの基準を定めた法律です。

 刑事法(の罰則の条文)の中で明文で定められている"犯罪"行為を、人が行ったと考えられる場合には、関係者からの「告訴・告発」などに基づいて、その事実の有無を法律上確認する捜査手続が警察官や検察官によって行われます。

 そして、その権限を持つ検察官が、犯罪行為が行われたと考え、かつその行為を行ったと考えられる人が罰せられるべきであると考えた場合にはさらに、その人を法律上の基準と手続に基づいて罰するために、裁判所に刑事裁判の訴え(公訴)を提起して、その理由と根拠を明らかにし、これに対して罰せられるべきだと訴えられた人(被告人)とその代理人(弁護人)が、これに対する防御するための理由と根拠を提出して、それぞれの正当性についての公の判断の行われる裁判手続(公判手続)を経たうえで、罰せられるべきであるか否かの判断(裁判)がなされます。

 この(刑事)裁判手続(刑事訴訟手続−公判手続)が適正に行われるために定められた「刑事訴訟法」の手続規程に基づいて進められることになっています。

 その裁判結果に基づいて、無罪(罰せられるべきではない)とされるか、有罪とされて刑罰が執行されることになります。

 このような、"刑罰の条件と内容と執行のための手続に関する事項"のそれぞれの、基準について定めている法律が、刑事法です。


 これに対して民事法は、民事(刑事法でのような、権限を持った人のその権限の発動から行われることになる刑罰の条件や内容や執行手続などとは関係のない、基本的に対等な私人間の紛争解決のための、私人間の権利・義務に関する事項)についての基準を定めた法律です。

 民事法は、そのような、基本的に対等な私人間の権利・義務に関する紛争を解決するための基準を定めた法律として、その紛争に関して、権限を持つ人(裁判官・審判官)が、紛争の当事者のどちらがどの範囲で権利を有するかを判断するための基準と、その判断をするための裁判手続の基準と、その判断した結果に基づいてその当事者のいずれかの権利の、最終的には強制的なものを含みうる、実現のために必要な手続の基準を定めている法律です。

 刑事法は、最も基本的には「刑法」という題名の法律中の条文に、基本的なものが定められいてるほか、民法、その他刑法以外の多くの法律中の条文にも、明文で、"罰則規定"という内容の規定として定められています。
 (罰則規定は、具体的には「何々・・・という行為をしたら、何々・・・という刑罰を、(何々・・・の手続で)科す。」という内容の規定として定められています。この()内は、刑罰の種類によって、別の法律にそれがすでに定められていることが多く、多くは省略されます。)

 
 民事法は、最も基本的には、"民法"という法律名の中の条文に基本的なものが定められているほか、商取引に関する紛争解決のための基準を定めている基本法である、"商法" や、その他多くの法律名の中の条文に、それぞれ明文で定められています。

 刑事法は、その法律上での強制力の働きが、個人の身体的自由の拘束や、個人の生命維持の自由を消滅させることをも含むものとなっていますが、民事法では、このような個人の身体的自由の拘束や、生命維持の自由の消滅の効果などは持っていません。

 民事法でのその法律上の強制力の働きは、次のようなものになります。

 法律上の義務を負っている人が権利を持っている人に対して任意にその義務を果さない場合に、権利を持つ人が、その法律上の権利があることを公に確認してもらうための法律上の手続を取ったうえで(この手続は民事訴訟と呼ばれ、その結果は、基本的には民事"判決"として明示され)、その判決で確認された権利・義務に従って、金銭的な利益金額に換算できる範囲で、その義務を負っている個人や法人の財産に対する権利を拘束し、その財産を強制的に讓渡などして換金して、金銭的な利益としてその法律上の権利を実現させることが、基本的、かつ最終的なものです。

 民事法での、この、強制的な権利実現のための手続は、"民事(強制)執行"手続と呼ばれています。



(4) 個人と法人−個人の権利義務と法人の権利義務との違いを認識しておくことの有効性
 法律上では、人は、個人と法人とに区別されていて、この二つは、全然別個の主体として扱われています。

 法律上では、基本的に、個人に対する法律上の権利や義務は、その人が代表者になっている法人自体の権利や義務とは、基本的に全然関係がないものとされおり、逆に、法人に対する法律上の権利や義務は、基本的に、その法人の代表者になっている個人自身の権利や義務とは、全然関係がないものとされいます。

 たとえば、代表者個人が借りた借金は、基本的にはその代表者が代表となっている法人とは、法律上無関係で、また、法人が購入した機械設備の代金債務は、基本的にはその法人の代表者個人とは、法律上は無関係です。

 関係が出てくるのは、その法人の法律上の義務を、個人が保証契約をすることによって保証したり、逆に個人の法律上の義務を、同じく法人が保証契約をすることによって保証したり、あるいは、個人が、法人の役員として相手方に違法に損害を与えたような時に、その法人の法律の規定に基づいてその法人がなんらかの法律上の義務を負う、というような、特別の理由がある場合だけです。



 
(5) 家族・親族と個人−個人の権利義務とその個人以外の家族・親族の権利義務との関係で、重要な部分
 今日、法律上では、個人が、その個人以外の家族・親族の法律上の義務を、家族または親族だから、という理由で負わなければならないということは、基本的に、ありません。

 なお(ただし、というべきかもしれません)、家族・親族だからという理由で、直接その家族・親族の法律上の義務を負うというのでなく、亡くなった親や兄弟の「相続人」として、その親や兄弟が負っていた法律上の義務(「債務」)を、相続人として、負わなければならない場合があります。

 しかし、この場合でも、基本的には親だからあるいは家族だから、という理由からではなく、亡くなった人(「被相続人」)の相続人だから、という理由でその法律上の義務を負うことになるものです。
 「相続」や「相続人」については、別項目で取り上げています。

 さらにまた、(たとえば、小学校低学年の子のような)法律上の義務負担能力のない未成年者が、他人の「権利または法律上保護された利益」を侵害した場合(たとえば、故意にけがをさせてしまったような場合)に、未成年者の監督をする義務がある地位にいる者としての、法律上の義務を負う、というような場合が、あるにはあります。

 しかし、この場合でも、基本的には親だからあるいは家族だから、という理由からではなく、監督義務がある地位にいる者の一種に未成年者の親がなっており、この地位に基づいて、はじめてその法律上の義務を負うことになるものです。

 (考え方としては、このようになります。この法律上の義務は、民法714条に規定されているものですが、このような考えかたに基づくものです。この条文の"民法現代語化案"−インターネット検索サイトで検索可能−が参考になります。)



(6) 約束と契約と、民事法上でのその"力"の働き方の基本的なものについて
 法律上では、契約と約束は、ほぼ同じ効力を持つものだと言えます。

 約束は、なんらかの拘束力を持たせる趣旨で当事者間で行われる、互いの、あるいは一方の、相手方に対する意思の表示と言えるでしょうが、契約は、その意思の表示が、なんらかの法律上の拘束力を持たせる趣旨で当事者間で行われる、そのような約束であるといえます。

 特に仕事の取引の実際上では、約束が法律上の拘束力を持たせようとしてなされたか、否か、区別はつきにくいもので、仕事上ではほぼ同じものと考えておいたほうが間違いがないと思います。

 契約をすると(仕事上で約束をすると)、基本的に、その契約でそれぞれがなんからの拘束力を持たせる趣旨で意思を表示した、その意思表示どおりの拘束力の効果が、法律上でも生じることが、明文の法律で規定されています。

 ただし、その意思表示の拘束力が、その契約の相手方やその他の人の正当と考えられる利益を不正に侵害する結果になるものとして規定がされている−強行規定と呼ばれる−法律条文の規定に違反しないかぎり、という条件がついています。
 (強行規定とは、たとえば、利息制限法第1条のような規定です。利息制限法1条では、100万円以上の金銭の貸付に際しては年15パーセント以上の利息契約をしても、この15パーセントを超える割合部分についての契約は法律上無効だと規定しています。)

 契約上での、互いの意思表示の拘束力に関する法律上の効力については、明文の規定では、民法第91条が、「法律行為の当事者が、法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う。」と規定しています。
(この引用条文の用語は、法務省民事局参事官室の、"民法現代語化案"−インターネット検索サイトで検索可能−に添ったものです。)

 この条文では、契約という用語ではなく、"法律行為"という用語を使っています。これは"契約"より若干広い意味になりますが、契約に関しては、(契約は法律行為の一種−かつその主なもの−なので)この条文は、そのまま適用されます。

 なお、民事法上のある法律条文の規定が、強行規定であるか否かは、条文の解釈で定まるものですが、基本的には、法律条文の規定を読めばわかるように規定されています。)

 そして、このような契約は、契約書に記載されて署名押印されることがなくても、また契約書に記載されることがなく口頭でも、法律上有効に成立することになっています。
(口約束だけだと、そのような契約があったかどうか、立証はしにくくなりますが、当事者や関係者の証言で、立証されることは少なくありません。口約束でも、法律上の義務は発生します。)

 最後に、民事法上で法律上の効力を持つとは、正義にかなうものだから、という精神的な強制力によるものだけでなく、任意にその相手方が義務を実行しないときには、物理的な強制力をも伴う、民事強制執行手続がなされうるということだ、と言えます。


(7) 市民社会での、「基本的な法律的法則性の認識」の大切さと、「就職・起業・経営技術」との関係について
 一般的に、経済・景気状況の悪化のために多くの経営組織の経営維持が困難な状態に追い込まれるような時期には、また、経営組織間の競争が激しくなっている環境下では、利害対立がよりするどくなって、法律問題にかかわる選択肢が重要課題になる場面が多く出てくるようになります。

 その経営組織自身が持つ専門的技術や、マーケティング技術や、一般的な社会常識などだけでは、対応や判断を誤ってしまう結果となる、一定範囲の法律認識を前提にした法律的な判断を要する問題への判断が重要な岐路になる(重大な結果を生む)場面も増えます。
 そして、そのような問題の判断を誤ってしまったり、判断の時期遅れになってから、法律の専門家に相談したり任せたりしてみても、その時にはすでに自立経営の維持や回復は手遅れになっている、ということが少なからず存在します。

 また、自立経営維持に必要な法律認識を持っていると、経営上のさまざまなトラブル(紛争)の場面で、少なくとも法律上の効力の観点からより適切な行動を選択できる結果、経営上の目標実現をよりとどこおらせずに進めていくことができるようになる、という価値もあります。

 このような意味で、市民社会での基本的な法律的法則性の認識は、就職勤務・起業・経営技術の一構成要素となるものです。


基本的法律関係の基本的認識(『法律認識読本』)−本文を読んでみる。
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