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このサイトのもう一つのメインテーマ(素材ノート1) 過去分 (見出し)

 但しnote1の過去分見出しのこのファイルでは、2015年11月29日までしかその見出しを作成していません。なお、このテーマに関係するものとして、サイトマップ−Y(付1及び付2及び付3を含む)内に、検索対象としては、『サイト内全文検索』の対象として検索可能なものとしてこのテーマに関係するファイルとして幾つか保存してきています。

 現在、Twitterへの投稿分の多くがこれに関わるもので、そのTwitter内で、その投稿分(Tweet)の単語検索が可能です。また、Twitterでの表示保存件数を越える過去のものは、落してしまったものもありますが、 このサイトの中の、twitter-twilog-text 内にそのtweetを保存して、上記のとおり、サイトマップ−Y(付2)内に、検索対象としては、『サイト内全文検索』の対象として、検索可能です。



20151129-2
 身体と精神の両方の「健康」と、『「感覚経」によるその「制御」』との関係について、前者は、後者によって基本的に(つまり、恒常的な実践の観点からは)


20151129-1
 他の、共通的に基本的な経営に関する認識と、そして各経営組織にとっての基本的な必要で有効な認識を踏まえてのものということになるだろうが、「経営での基本的な『数値』目標達成」という要素は


20151128
  「悲しみを分け持ち支え合う」という言葉、時折耳にする言葉のこの意味は、これも、考えてみると、そのこと自体が、ごくわずかな、かすかなものであっても、


20151121
 「幸福な家庭は、似たり寄ったりだが、不幸な家庭はそれぞれその不幸の内容が大きく異なる。」(レフ・トルストイ 『アンナ・カレーニナ』の冒頭の句。日本語訳を思い出して)について、その逆も考えられるのではないか?


20151114
 その、「体験の現実」は、「感覚経」が把握している、身体を、「束の間のものだけではないようなもの」としては


20151113
 (例えば、自分のホームページにupした作品の)どれから、手がかりにして、「発見又は創造」を?


20121112
 体験の現実と、それを何らかの在りようで再構成して把握する残像との関係で、その後者は、前者に対して、それを把握すること自体で或る効果を


20151111
 その質の在りようとしての、限りなく愛情に近い友情のような友情の要素の、基本的に再構成把握残像を、


20151110
 既存の手持ちの作品からの、認識だけでなく、認識を含めても良いが発見又は創造(の対象)そのものの、把握を、ほんの・・少しのものであっても


20151107
 ほんの束の間のだけではないような喜びあるいは幸福の獲得のために、それへの「思い」の「系」として、


20151101
 "その" 直接的な "系" (連続的に関わってくるべきもの)として、体験の中の残像としての現実(であるもの)のそれを含めての、友達と思える人たちへのその


20151003
  人生の時と時間の中で、何を選択しあるいは何を作っていくか、いつも考えながら"そう"していくこと? ポイントあるいは焦点になるのは、


20150923-2
 生き方の選択として、(心の中のというより)体験の中の思いの対象を


20150923-1
 行動する際の判断の基準としての認識に関して、大人になってきてそしてさらに歳を経てくると


20150917
 直接政治に関連する事象とは把握しにくいけれども、おそらく共通的に幸福に生きるという点からみて有効と思われる、可能な限り人間として全面的に


20150916
 政治に関連する事象の中からの有効なまた必要な法則性の探求と検証の取組み。まず、


20150915
 政治は、グローバルな世界をその最大の一つとする入れ子的な構造を持つ各地域で生きる基本的にはすべての大人が


20150912
 戦争(組織的集団的な殺人実行行為。それを無くすための定義−対象を限定するための言葉−としてのそれであって、テロリズムでのものなどを含むそれ)を、今後の人間たちの取組みとして無くすことができるのかについては


20150910
 (さらに)自分を含めてたぶんそれに責任のある大人たちはともかく、子供たちが


20150909
 人間の命の尊厳は、人間の死の厳粛さの表ての面であるものとしての人間の命の喜びや幸福の、


20150906-2
 自分自身で一番欲しいものの一つとしての、体験の中の


20150906-1
 反軍事科学−人間を戦争で殺させないという目的のために必要で有効な、物理的・・・


20150905
 束の間のだけではないような幸福の獲得ためには、体験の中の、何より、感性的要素(sensitiveな要素)、すなわち、感覚や感情や意識や欲求や欲望や思い(thinking or thought)を持っていると把握される生きている人間の身体という物質的要素を含む物質的要素が


20150901
 「暴力を許さない可能性を探ってみたくなった」・・「表現そのものが勝利だと、私に教えてくれた奈々さん。生き抜いてくれてありがとう。あなたの命が希望です。」


20150829
 「(究極的な、ではなく、可能な限り即時的な)戦争廃絶法」案。日本国憲法第9条を参照してもらって。「(同じく)戦争廃絶条約」案あるいはその集合としての「(同じく)戦争廃絶憲章」案。戦争することそれ自体が


20150826
 美しい思いの対象のいくつか。子供たちの本心からと思える笑顔とそれに近しい表情・姿勢・


20150822
 ほんの少しの、ほんの束の間の、だけではないような幸福の獲得にとって、そのために、人間に関わる、それもさらにその人間の思いのそれ−その人間の思いが美しい


20150805-2
 戦争での核兵器の使用による人間の命の死も、人間の一人一人の命の尊厳とその一人一人の命の死の厳粛さの


20150805-1
 それを消去するためのあるいはより消去するための取組みの行動の一つとしても、一番苦しみの少ない姿勢という言葉で把握できるそれを


20150801
 「友達だ(よね)」という思いあるいは確認は、当然自分自身に対しても


20150724-2
 人間のネットワークは、「友達だ(よね)」といつも思っていられるような友達を、できれば


20150724-1
 現実の人間の命の尊厳と−それを感じての−その可能な幸福の中には、現実の他者−何より人間−の命の死の、あるいは


20150721-2
 二つ目の、夢・希望・未来。 意志になればよいが、思いとしてだけでも、


20150721-1
 人間を、自分にも、他者をも、自分をも、他者にも殺させないための闘いの、殺人用に特化された武器である兵器(軍事機器)とは異なるものとしての武器?


20150720
 自分にとって一番美しい対象としての、今そうあってほしい人たちの幸福も、


20150717
 愛(情)は、そのままでは人間としての美しさ(である)とは必ずしも言えない、友情−友達だという思い−を伴うことによって初めてそう言える、のでは


20150712
 後藤健二さんの2010年5月24日付のツイート。「言葉は不思議です。メッセージを伝えるには限界があると完全に思っていたのに、センテンスの持つ響きによって"心"は伝わる。しかも


20150710
 ツイッターに2015年7月4日投稿した分の引用ですが、(・・・政府見解・政府発表文書) 安倍氏を筆頭に憲法違反と言われないようにどう国際的な戦争支援を継続的恒久的に行うかだけを考えていて、現実に世界各地で行われている戦争をどう止め、どう平和を実現するかの思いがまったく


20150709-2
 「自衛」戦争、「防衛」戦争であっても、戦争は、いずれにしても組織的集団的な殺人の実行行為そのものである。「戦争」ではない(応戦ではない)「自衛」あるいは「防衛」行為−そのための闘い−は、


20150709-1
 ホームページへのアクセスチェックも、ホームページの情報更新も、ツイッターのタイムラインの情報チェックも、職の(事務所の)仕事への取組みも、


20150706
 『美しいのは今何よりもそうあってほしい人たちの幸福』( "for myself, the most beautiful thing is happiness of...." )・・・


20150705
 カンボジア−ポルポト時代の事実の掘り起こしの仕事の、本日付新聞記事。自分も、いつそういう人間になるか知れたものではないという思いは、在る?無い?


20150701
 核兵器を含む兵器(人間の歴史の中で組織的な殺人用に特化してきた武器)の「殺人機器力」をより消失させ無力化するような


20150629
 (2015月6月28日付noteの)「優しさ」の意味は、ここでは


20150627
 ほんの少しの幸福、人間の亀鑑的作品、優しさを伴う美しさのさまざまな在りよう(優しさを伴う美しさのさ まざまな質を−その質はおそらく多くの場合次のこととして、但し時と時間によっては必須の要素として−含む その具体的な内容)、は、だいたい同じ意味である。少なくとも自分自身にとって。

 逆に、と言ってもよいと思うが、憎しみは


20150626
 自分にとっての亀鑑的作品の体験(それに触れること)を、体験の時と時間の中に集中すること、集中させる ことは、自分にとってのほんの少しの幸福(でもそれ)を体験の時と時間の中に集中すること、させることと


20150621
 「ほんの少しの喜びや幸福」としての、その時と時間において一番の亀鑑的作品に触れること、触れていくこ とはできても、そこから先に進まないように感じられる時と時間


20150620-2
 「人間がどのように死ぬかには意味がある。」(ジャーナリスト山本美香さん−2012年8月20日シリア内戦の取 材中に狙撃されて死亡−の、著作作品の中の言葉。)

 人間がどのように死ぬかは、


20150620
 その時と時間において一番の亀鑑的作品に触れていくという言葉で再構成把握される(体験の現実のその)残 像を手がかりにして獲得していく、その亀鑑的作品の中に、


20150615
 「ほんの束の間のだけではないような幸福」との言葉でのその認識(意味)の中には、起床時から次の起床時 までのすべての時と時間(という意味)が


20150607
 いつも思い出せているようにしていかないと、瞬く間に時も時間も過ぎてしまう(Moment and time pass in a flash..)。束の間のだけではないような幸福の獲得のための時と


20150606
 他者が(基本的に他の「人間」が)自分と同じような体験の中の世界を−そしておそらく共通的な体験の中の 世界を、「現実の環境」などと呼んでいるそれを−持って生きているということが感じられること、そして


20150604
 おそらく、「いつも、体験の中へ、最良の(基本的に過去の)体験の現実(の出来事やその対象となるもの) の残像を再構成して把握すること、そして、し続けることのできる力」を、その実践を通して


20150527
 (承前)その闘いの相手方は、その闘いによってそれ−を体験の中の世界の中から、と言うべきかもしれないそれ−を無くすことが絶対にできないとは


20150525
  闘うとは、勇気を出して−人間として−それを実行すること。


20150524
 一つの、希望・夢・未来。

 防衛省の『(反戦争反軍備)人命警備省』化。


20150522
 (承前)たぶん多くの人に美しいものとして受け入れられる「こんなふうに」という内容を持っている「希望」や「夢」や「未来」−そのような希望や夢や未来を持つことは、(それがかすかなものであっても)それ自体、


20150521
 (承前)自分自身のその選択と闘いへの自分自身の信頼を賭けることと、子供たち、青年たちを当然に含む他者たち自身のその選択と闘いへの自分自身の信頼を賭けることとは、


20150520
 INDEPENDENT PRESS 「インデペンデント・プレス」 Report 『夢』 2004年1月23日 ipgoto.com から作成されて投稿された、twitter の中の(外部)リンク先の  file のセンテンス 


20150516
 現実の或る体験と、その再構成把握する残像を体験するという体験と、現実の或る体験の「代替的作品」と把握できるような作品を体験するということについて。


20150515
 自分の中の人間として美しい−体験の中に快く訴えかけてくる−と感じられ、思われる部分を増強させていくこと。


20150513
 脅し(威嚇)は時と場合により、有効で必要なものなのだろうか?(人間間での問題として。)


20150512
 「優しさは、『傷つけないように』快さを持ち込んでくること」というとき、それができるのは、


20150508
 INDEPENDENT PRESS Report 大きな瞳 2004年1月22日


20150503
 優しい、と、美しい、の意味のこの時点での再確認。


20150405-3
 新聞を読んでいて、「アメリカン・スナイパー」 (スナイパー − 軍隊の狙撃兵−小谷付記)(ハヤカワ文庫、クリス・カイルほか著) の書評 があり、心打たれた。


20150405-2
 自分自身がその人たちに友情を感じやすくなるのは、当然、その人たちが(できれば−相互的にだが−上手に)友情を示してくれる時。

 愛情は、


20150405-1
  個人単位での所得収入は、基本的に、つまり健康状態などの特別条件を除いては、人間の基本的な科学的認識水準(個人単位でのものはまだ全く未発達であるが人間の経済的な問題への取組に関する科学であると把握しうる「経営」についての科学を含む)の獲得の度合いに概ね比例しており


20150404
 Home − サイトアウトラインメニュー/プロフィール − の項目 − に、「Twitter投稿分本文書庫」(ジャーナリスト後藤健二さんの生き方の影響を受けたことが大きいもの)を


20150315-2
 「新しいことを始める場合や新しいことを言おうとする場合には特に、失敗はありうるものだ。」との趣旨の認識


20150315
 表情は、友情の表現であるような、基本的に一瞬のものである−目を閉じたそれを含むような−眼差し(まなざし)の、


20150314
 その時その時−その時間−において、(体験の−世界の−中で)描写すべき表現すべき対象についての、基本的には残像などで把握している対象の、空白性と、少しでもの存在性について


20150313
 描写することは、言い換えると表現すること。より具体的には、おそらく全面的に人間らしい人間と同じように形成され続けていく言葉や、声や色彩や線や音声や表情や姿勢やそれらの造形や、それらすべての代替的なものなどに


20150312
 幸福は−喜びも−ほんの少しのものでもそれを選択していくと共に作っていくもの−今


20150310
 経営も(経済面での取組みも)、金儲け(私的資本蓄積それ自体)への情熱(ハングリーさとも呼ばれるもの)をではなく幸福や喜びそのものへの情熱を活用してのそれを


20150309
 プラスになるものだけを−その方向にだけ−選択していくこと、は、もちろんできる限りではあっても、できないわけではなく、


20150308
 友情への思いの実行として上げられる、現実にはできるだけとしてのものでも一番美しいと思えるものあるいは ことである全面的に人間らしい人間(おそらくできるだけ多くの人にとっても喜びや幸福の手助けになるようなそ れ)によりなること、なっていくこと、


20150304
 できれば身近に居てもらえているとうれしい友人だからという理由で、その人の肉声又はそれに代わるものや生身の身体はこの体験の現実の世界には居ない場合であっても(あるいは単に身近に居ないだけの場合であっても)、


20150302
 自分が、そして他の人たちもたぶん同じように、それを体験している−生きている−自分自身の在りようを含めて、体験の中で見たり聞いたり肌で感じたり食べものを味わったりいろんな思いを−それはたぶん体験の中で現実に見たり聞いたり感じたりしたことの直接的な残像や再構成して把握している残像を把握しての結果としてのものなのだろうが、そのようないろんな思いを−いだいたりする、などのすべての中


20150301
 今日の日本の経営と政治と法律に関して、「しんぶん赤旗」のtwitterから


20150228-2
 取組みが他者の−たとえば友人の、であってもその−喜びや幸福のためのものにもなるという要素は、


20150228
 なぜ、喜びの密度を少しでも体験の中で充実させていくという単純に思える取組みがとても困難なのか、については、


20150226
 友情やその残像に関連づけられている心惹かれる、好きだと感じられる対象の方が、単純に、つらい対象より−切り離しにくい要素があったとしても、またあるにしても、さらに体験の中に残っていても


20150225
 時と時間によっては、友情(そのもの)が−それもいろんな人たちとのそれが−現実の、あるいは現実に近い喜びの


20150224
 (承前)但し、その言葉が本当に−真に−手助けになるかどうかについては、たぶん恒常的に、「本当に?」や「なぜ?」を確認して続けながら、その言葉を使って手助けを受けていかなければならないのではないか。


20150223
 言葉は、書かれた言葉でも、心の中で暗誦する言葉でも、実際に話される言葉でもそうだが、把握したい対象を、単に認識としてだけではなく、


20150222-2
 Home − 亀鑑的作品からの認識note − 辻井伸行・「ショパンへのオマージュ」の紹介の記載の中に、辻井伸行さんの「ロックフェラーの天使の羽」という曲を後藤健二さんの最後の仕事に


20150222
 ヘイトスピーチも、友情の正反対のものとしての脅しの一つ。
 他の動物でも−たとえば身近な犬や猫でも−それに近い行動を取ることは当然あるが、そしておそらく狼やライオンなどでもあるのだろうが、


20150221
 経営でもそれぞれの時期で−時と時間において−一番肝心なのは、国家や会社やその他最小の経営組織の単位と把握できる個々人との間で中間的な、個々人を包摂する経営組織の資本構成の選択なのではなく


20150220-2
 つらい思いをして生きている人の方が−つらい体験を負って生きている人の方が−、喜びや幸福をより強く感じるものだという認識も、そしてつらさの部分はあっても喜びや幸福そのものに近い体験は可能であるものだという認識も、


20150220
 時と時間の中の、自分自身の喜びあるいは幸福そのもの(などと名付けられるようなもの)という対象は体験の中の現実にもその再構成把握残像としても無いとしても、


20150218
 言葉は−話は、文章は、と言ってもよいが−、体験の現実やその残像の貧弱な伝達・交流・交換手段である場合もあるが、そして多くの場合、貧弱な伝達・交流・交換手段であることが多いとさえ思われたりもするが、


20150217
 つらさはつらさのままでもよいので、残像でも現実でもよいので(基本的には残像なのだろうが)、時と時間の中の−物語としての−喜びあるいは幸福を、


20150215-2
 想像(imagination)が現実の残像の再構成把握以外のものでありうるかについて、子供の頃、


20150215
 ほんの少しの喜びも体験できないように感じられる時と時間、でも、ひたすらそれを得られるよう努めて有効そうな作品にも触れたりしているうちに


20150214
 ほんの少しでも獲得可能な喜びの、体験の中へのその−あるいはそれらの−密度を高めていくそのために、その「系」(連続的に関連してくるもの)として、同時に「ひたすら」という程度あるいは方法に加えての(もう一つの)方法と言ってもよいものとして、


20150213
  ほんの少しでも獲得可能な喜びの、体験の中へのその−それらの−密度の充実をさせていくために、ひたすらという程度に−あるいはひたすらという方法をもって


20150212
 (承前)それは、それが残像であって現実のもの−対象−ではないということに関わっているものであり、


20150211
 心惹かれる先から得られるほんの少しの、ほんのささやかな喜びでも、過去の試煉を消失させることになる喜び。切なさは


20150209
 自棄(やけ・じき)も、怒りの一種なのだろう。そして、自暴自棄に駆られた行動を取るという事象も、怒りに駆られた行動を取ることの


20150208
 下記それぞれ、可能でありうる−何より今後人間としての共通的認識として形成させていきたい−把握として、
 兵力=軍事力と、警察力=警備力との相違は、


20150207
 共通的なほんの少しのでもの喜びあるいはその素材を体験の現実の中に発見すること、あるいはそのような喜びの残像を再構成把握することを、会話の素材などとしてでもよいにしても、


20150205-2
 死刑制度と死刑の実行も、友情と正反対のものの一つである脅しの一つだと


20150205-1
 体験の中の限りなく愛情に近い友情の総体が、それを把握できている限りで 


20150204
  友情の正反対のものの一つであると言える脅しにかかわる恐怖は、何よりも自分自身の生存が維持できなくなるほどの苦痛の原因となるものや、


20150202
  《人と微笑(ほほえ)みあうたびに必ず健二さんのあの大きな Big Smile を思い出すでしょう》
 《(後藤さんは)憎しみを超えて人と人が分かり合えることを信じていました》


20150201
  インターネット、YAHOO JAPAN!ニュース2015年2月1日記事から。
毎日新聞 2月1日(日)16時45分配信
<後藤健二さん>注目集まる過去のツイート


20150130
 想像されたものとは、基本的に「自分自身の体験の中の現実あるいはその自然的なあるいは再構成して把握される残像を再構成して、自分自身の体験の中に把握したその残像」


20150129
 他者の現実の姿形や表情などから自分自身の体験の中の現実に近いものとして把握するような、他者の体験の中の恐怖や苦痛やつらさを、また反対に他者の体験の中の喜びや幸福を、


20150128
 幸福そうなら一応でもそれでよいものとして幸福のディテール(要素)として、そうではないようならそれでもそれをほんの少しのでものあるいはほんの束の間のでもの喜びあるいは幸福を得るための認識の素材のようなものとして、


20150116
 心惹かれる対象からの、基本的には現実的なそのような人間の作品からの、ほんの少しでもの幸福を身体の中に獲得して蓄積していくような(焼き付けていくような)取り組みにおいて、


20150106
 「金縛りが起こったら、目だけは動くレム睡眠の仕組みを思い出してみましょう。あわてずに、意識的にまぶたや目を動かす、夢の中で何かを見つめようとすることで、早く抜け出すことができます。」という、新聞の解説記事がありました。

 実際にそんなことができるのか、また本当に効果があるのか、テストはまだですが、


20150104
 特に心を惹かれる対象の、再構成把握残像の体験の中への記憶方法として、何らかの関係を持たせて−というこのことも一つの再構成把握残像の再構成把握だとしても−中枢や末梢を含む感覚経(神経のこと)を含む身体の中に蓄積していくような取組みが、


20150101
 ごく個人的なことなのかもしれない、そして個人的な体験の再構成把握残像の再構成把握に関わることなのだが、一番心惹かれる複数的なものでもの対象を恒常的に心の対象にしていってよいと


20141228
 「ニュースは、基本的にニュースメッセージであり、商品(広い意味での、公的サービスなどを含むような意味でのそれ)が売れるか、そしてさらにその根底的なものとしては経営が維持できるか(基本的に何より目標値としての資本維持をしていけるか)、さらには資本蓄積ができるかということと、世界の人間社会(その一部も全体的なものも含む)の質を変えられるかの、両方が、その発信者たちに、


20141227
 経営は、その最小組織単位が(被扶養者部分を除く)各個人である人間の経済的な条件を確保していくための取組みだが、各個人から、束の間のだけではないような幸福を獲得していく取組みにおけるその位置づけを把握すれば、その(「足場(のようなもの)」と言うよりさらに)「恒常的にそれを−基本的に物質的に−支えていくもの」を確保し維持していく取組みに該当すると


20141219
 体験の意識の中に意識の対象とする作品(現実的なものも残像的なものも含めての作品)からの体験の質を高めるための蓄積をしていくことが可能になるのかどうか。


20141212
 生身の−少なくとも物心付くようになってからはその人が自分自身で作り上げてきたとも言える人生を生きている人間自身のその生きている人間自身であるというその−作品と、生身(の人間)以外の作品との関係については、


20141204
 ほんの少しのあるいは束の間の幸福あるいは喜びだけではないような喜びあるいは幸福の獲得への取組み自体が困難な時間、


20141203
 疑問の残る形でも、自分にとって分かりきっていることではなく、基本的に新たな意味のある−有効性のあると考えられる−ものだけを


20141127
 少なくとも自分自身の場合では、鏡や写真などに映った自分自身の−「身体」の、と言ってもよいかもしれないが、感覚や感情や欲望や意思や再構成把握している現実の残像などの「心」もそれに写っていると考えられるのでそのような心と、


20141126
 実践的に、記憶が、20141123付ノートメモのように現実の体験の残像の再構成把握力であるとすれば、そして(感覚的な痛み以上につらいものでも、その逆も、ありうる)感情もそのような記憶の対象になるとすれば、さらにその「記憶」を(ほんの少しでもの、さらにはそれ以上の幸福に向けて)鍛え育てることができるとすれば


20141123
 現在の時点で実践的に、まず人間にとっての記憶は、(造語ですが)「感覚経」と名付けることができると思われる−中枢も末梢も含む−神経組織の持つ、筋肉や臓器や骨格や皮膚などの身体内の他の組織に制約されてないしはそれら組織との関係を持ち続けている中での


20141110
 目的と手段とのそれぞれの実践的に把握する位置関係は相対的でありうるが、最終的なないし上位の目的とその手段との位置関係の把握は、恒常的に、四六時中


20141020
 「こつこつと」(すなわち、相対的に長い時間持ち堪[こた]えて)取り組むことが−もちろんより有効な認識がその中でも得られてそれを活用できてよりよく克服できる時のその活用を当然に含めてであるが−、


20141019-1
 体験の中で亀鑑的作品そのものを直接対象としての−それに接しあるいはそれに触れての−取組みからは遠ざかっての、それ自体がマイナスの−否定的な−要素であると感じるようなその時間の取組みにおけるそのマイナスの要素を含めて、


20141018
 その人にとって一番美しい一瞬の現実、あるいは一番美しい時間の現実の一つ一つは、その人にと っての−自然という現実の中での−


20141012-2
 束の間のだけではないような幸福を獲得することにかかわる、「体験」・「意識」・「意思」・「行動」などの、個人的な(自分自身の場合での)実践−すなわち、生き方、あるいは生きる術[すべ]−の観点からの一応の定義。

 意識は、


20141004-2
 基本的には「限りなく友情に近い愛情あるいは限りなく愛情に近い友情」に属するものだと思いますが、また、体験の中の『世界』そのものに対しても言える−ことになる−ことだと思いますが、


20140929-2
 今、他の学習塾にはない教育法で話題になっている『花まる学習会』。ここは、小学校低学年をターゲットに、受験のための詰め込み式のような勉強ではなく、将来『魅力的な人、そしてメシが食える大人』になることを目指し、


20140929-1
 「リベリア人医師ジェリー・ブラウン・・・エボラ出血熱の感染拡大で最多の死者を出しているリベリア。プラウンは首都でも数少ないエボラ治療センターを備えた病院の院長として


20140927
 その時に必要で有効なのは分かっているのに気乗りしないで具体的な取組みができないことへの対応方法について


20140926
 認知症化と老衰化と、身体内と、身体外(但しそれぞれ体験の世界の中のそれら)ということについて


20140913
 自分一人だけではあまりにも、さらには堪え難く寂しいと感じられる時のその寂しさは、体験の中で、何よりも


20140912
 「・・帰りにフィリップはいった。
 『幸福だろう?』
 ピエールは黙って、うなづいた。
 『もっともさね。幸福は美しいよ。おもの分もとれよ・・・・』
 弟を当惑させまいと思ってフィリップは、滞在中、ピエールの年度の適齢者たちが近々軍籍に編入されることを ほのめかすのを避けた。しかし、


20140907
 昨日、司法書士会で「事業承継」についての研修会があり、その関係データを探すために、中小企業庁のホームページで、「中小企業白書」を探してみましたが、電子テキストデータで、平成17年(2005年)版から平成26年(2014年)版の分が、


20140901
 かすかな印象のようなものとしてでも、再構成把握している(夢見ていると言ってもよいかもしれない)体験の中の−基本的には現実の−美しい部分の残像に比して、ありふれた、


20140831
 疲れを強く感じている時も、疲れて病がまさってあるいは単純に病がまさって痛みを感じている時も、疲れや痛みが認知できなくなってしまっている時も、そうでない時も、それらの中間的な状況の時も、相対的なものでも幸福の充実への取組みはできるので、


20140830
 個人を単位として、限りなく友情に近い愛情又は限りなく愛情に近い友情を、というのと同様に、個人を単位として、限りなく公務事業に近い民間事業(とその経営)又は限りなく民間事業に近い公務事業(とその経営)を、という


20140825
 認知症化及び老衰化にどのように取り組んでいくかは、特に後者については、


20140824
 ジャン・ポール サルトルの、『ポール・ニザン』という、ニザンへのオマージュになる作品(白水社、鈴木道彦氏訳、「シチュアシオンW」の中の作品)の中に、「ニザンにとって朝から晩まで一日中愛し得るのでなければ愛は考えられなかったし・・」との言葉があったが、この愛は結局


20140823-1
 大規模な殺人対戦(殺し合い)と言える戦争における核兵器を筆頭とする効率性の高い殺人機器の使用も、それぞれの生き方に何よりかかわる、50億人位と考えられる各「個人」を単位として


20140823-2
 法令集はほとんど電子(書籍)化されてきていると思いますが、特に論文形式での書籍は、電子書籍化されれば有償でも使用したい人は沢山いるのではないか、と思うのですが、


20140823-3
 『ボヴァリー夫人』(伊吹武彦日本語訳)を読み返してみて、同人も、夫のシャルル氏も、 身の回り品販売業兼貸金業者である(と言ってよいと思われる)ルウルウ氏も、すべて、作者のフローベールの分身−少なくとも、フローベールによって再構成(リフォーム)されて把握されたフローベールの体験の中の世界の、


20140813-2
 『ニューホライズン和英辞書』(2011年12月1日版)の裏表紙から、英語でHAIKU!の中の二つの俳句の引用をさせていただきます。


20140813-1
 まず、2005年年1月8日に引用した言葉の、そのままの再引用ですが、「『エピクロスは愛には厳しいが、友情はこれを賛美している。愛他主義はまったくない。友情はある必要を充足させてくれるのである。ひとはそれぞれ己れ自身の快楽のために友情を培うべきである。友情はさらに他の人間たちの関係で安全を確保する手段である。友人はわれわれを保護してくれるからである。』


20140811-3
 すばらしく(目立って、際立って、優れて)美しいものを、現実やその残像の中に把握していくことによって、体験してしまうつらさやその衝撃を埋め合わせていくというような取組みと、


20140811-2
 人は誰も、少なくとも相対的には、他の人と比べても優れた所(目立って、際立って、人の−自分自身のでも良いと思いますが−喜びや幸福のために力になれる所)があると言えるので、


20140811-1
 山本美香さんの、『戦争を取材する−子供たちは何を体験したのか』という本(講談社-2011年8月11日第2刷)の中に、「医者には医者の、ジャーナリストにはジャーナリストとしての役目がある。」という言葉がありました。


20140809
 いつも肝心なのは、体験の中の世界のすべて。


20140806
 仕事と、勉強(学習と研究)について、子供に対する相対的な高齢者である大人では、後者は前者の一部。


20140805
 「眼差しと声の残像」という言葉を手掛りにしての、おそらくその代替的な感覚によるものを含めての「眼差しと声」の残像を再構成把握し、


20140804-1
 物心付く頃−おそらく言葉の意味を把握して使うようになる頃−の子供の場合でも、相対的高齢者としての大人の場合でも、実践的には、その人の実践や行動は、その人がそれまでに把握しているその実践的な目的に関わる(基本的にはそれに関係する事象の法則性についての)認識の総体に基づいて


20140802
 (『秘密の花園』での−私の付記)この鳥の夫婦が味わっているすばらしさ−この庭にみちている、時にはやさしく、時には激しく心を打つ、たぐいない美しさや卵の大切さを、


20140801-2
 Home−左下欄の「幸福への素材の一つ−事務所業務外のリンク」−「クオレ(心)」(「愛の学校」という表題に直した日本語訳本が出版されていました。現在も、この副題が付いたものが出版されています。)−の物語の、1日目の日記から。


20140801-1
 体験の中で、その幸福の質の観点から、「体験の中のすべての対象」と把握できるものを一つの対象として含めてよいものとして、体験の中のさまざまな対象に対して、


20140731
 憎しみは、再構成把握してのものを含む怒りの残像、あるいは体験の中にそれの在ることによる感情。怒りのように見えても、それが怒りを再構成把握してのものを含むその残像にすぎず、憎しみにすぎないことに気付いていないことが、


20140727
 他者の、その人自身にとっての幸福の質は、自身にとっては、体験の中のその人自身やその残像の表情などから把握している残像的なものだと思うが−少なくともそれがどんなにかすかなものであったとしてもそれに関わって存在しているものだと思うが−、そうだとしても、肝心なのは、


20140712
 幸福に向かって近づいていく、そして束の間のだけではないような幸福に向かって近づいていく−自分自身をそのような幸福に向けて近づけていく−、さらにその一部としての世界を平和(戦争またはそれに近い紛争のない状態)に向けて近づけていく「取り組み」(取組み・取組)は、なぜ、「取り組み」という言葉で把握して行って(して)いくのが適切なのか。


20140705
 1.それぞれの−パターン化されて把握される性格ではなく−さまざまな性質を持っているまるごとの人間が、自分自身を含めて


20140704
 1.「外部リンク2(事務所業務外)」のリンク先の、自分の好きないくつかの小説作品に対して、「さらに、時間が取れれば、合わせて、自分自身で好きなことなので、ほかの物語と同様、物語に沿って再構成把握する取り組みを進め、その結果のノートメッセージなどをこのページの中で記載していきたい、とも考えています。」とのコメントを追加しました。(ほぼ自分自身のための覚え書きですが。)

 2.さらに、同じく「外部リンク2(事務所業務外)」のリンク先の、「日本国憲法の誕生ウェブサイト」の紹介の末尾に、最近の日本のテーマになっている、憲法・戦争・軍事侵略などに関しての私の意見を、


20140702
 錯覚(幻覚と呼ばれるものを含む)は、相対的にごく偶然的な条件上でのみ、通常の感覚として、あるいは通常の感覚のように体験される、幸福の獲得の観点からは基本的に−その錯覚の一瞬を除いては−マイナスの感覚。それら通常の感覚や、錯覚の、残像とも異なるものである。(その意味の定義として。)

 妄想は、


20140701
 1.できる限り語りかけるように仕事をしていくこと。なぜかというと、その過程や結果の残像を、少しでもより良く(再構成)把握していく結果になるから。好きな人たちに向けて。言葉だけでなく姿勢や表情でも。

 2.当たり前のような認識の再確認、再把握としての認識であっても、螺旋(らせん)的により高い段階で把握されるものとしての意味は


20140629
 事務所の地域の、「甲府市統計書2013年版」へのリンクを、Home − メインメニューへ − 現在の業務関連特記情報(1)〜(6) − (6)経営計画作成実行上での経営連関表の作成活用方法と、関連する産業連関表(国・地域等)・国民経済計算(表)− 8-1-1- と 8-1-2 に掲載。

 また、経済産業省の、「延長産業連関表からみた我が国経済構造の概要(2012年簡易延長産業連関表、2011年延長産業連関表)−2014年4月25日公表」と、2012年簡易延長産業連関表80部門取引額表と、2011年延長産業連関表80部門取引額表へのリンクを、それぞれ、Home − メインメニューへ − 現在の業務関連特記情報(1)〜(6) − (6)経営計画作成実行上での経営連関表の作成活用方法と、関連する産業連関表(国・地域等)・国民経済計算(表) − 3-0、3-0-1、3-0-2 に掲載。
  (これらの統計表の、参考にしたい個々のデータの検索の仕方については、


20140628
 「幸福は、過去の試練をもはや勘定に入れないもの」であること(その意味の定義として)。

 そして、「身体と感覚と精神(体験の残像をおそらく基本的に意思的に把握している部分)との、そのそれぞれの集合」という、体験の中の事象と、「幸福」という体験の中の事象とは、関係しているが、


20140618
 自分が受けた怒りの原因と思えるものへの自分が怒りを向けるその怒りの強さの度合いと、自分が受けた怒りの原因と思えるものから受けたその怒りの強さの度合いとの、その、落差は、


20140610
 「幸福は過去の試練をもはや勘定に入れないものだ。」(ロマン・ロランの『ピエールとリュース』−角川文庫・翻訳渡辺淳−の中の文章。一部アレンジしてるかもしれない。記憶に基づいて検索して確認して、2009年8月にもこのノートで同じ文章の引用をしていた。少し異なる捉え方。)

 予測できるものであれ、できないものであれ、衝撃から少しでも回復できた時には、


20140607
 かすかな、また束の間の幸福の輝きのようなものの残像−意思的に再構成して把握するそのような残像を含めての、残像−は、現体験においては残像にすぎないとしても、


20140528
 かすかな、そしてごく束の間の幸福の輝きの残像のようなものでも、それを現実の体験の中に強く印象付けていく取り組み、というものが


20140525
 人間にとって各自自身のその幸福への欲求は共通的に基本的なものだと思われるが、それは、生物的・動物的な欲求のようなものが基盤にあるものであって、人間のそれとしては、


20140524-2
 一番信頼できると思える人たちへのものからであってもよいと思うが、人間たちへの信頼よりも、人間たちとの戦闘力(比喩的には経済的なそれを含めて)への信頼の方を優先して、


20140524
 一番信頼できる人たちへの人間としての信頼をまず第一の前提として(ないし、その信頼への残像でできる限り体験の残像を満たしていくことをまず第一の前提として)、よりかすかなだけのものではない、


20140523
 いわゆる科学の言葉や法令の言葉は、より共通的な要素が大きいものになっているのだろうが、科学や、法令や、小説や、日常の中の言葉を、聞いたり、話したり、読んだり、書いたりすることによって、各自に把握される各自の体験の中の出来事の残像(イメージ)の、その把握を通して、各自自身において、各自自己のそれら把握されるないし把握された残像と類似的な


20140522
 世界の、暗い所を感じている部分が体験の中にあれば、その分余計に、幸福の輝きのようなものが、かすかなものでしかそして束の間のものでしかないとしても、かすかなものではない、束の間のものだけのものではないようなものにしていく取組みをしていかなくてはならない。(生きている限り、あるいは少なくともその意識の残されている限り、どんなにかすかなものであってもそれがまったく消滅することはないと思われるので。)

 そのような取組みとの関係で、意思は、精神と身体との対比で区分する場合に基本的に精神に属すると言うべきだとしても、それは、実践的には、体験(したこと)の残像との関係で意識されている意思の部分であって、単に体験されている衝動や欲求としての意思は、むしろ


20140518
 すごく厳しい状況でつらい思いをして生きてきた人たちには、余計その人自身にとっての質の高い幸福が要るのであり、それは、他者からは、


20140517
 厳密に言えば「世界」、ということになると思いますが、環境のすべて、特にその中のインパクトの強い部分をメインに考えて、そこで束の間のだけではないような幸福でいられるような環境に近づく取組み、が


20140429
 角野栄子さん(「魔女の宅急便」の作者)の新聞記事を読んで、インターネットで検索して関係リンクをみて、角野栄子さんの自伝的作品を読んだ方からの投稿記事の中の一つに、「『そうなったらいいな』『そうなったらどうしよう』を繋げて繋げて」想像ないし空想を紡いで物語を作る、というような趣旨の言葉がありました。

 この言葉に関して、とりあえず自分の場合のことですが、現実の体験が貧弱なら、


20140426
 「悪夢の中に自分を見る−『アクト・オブ・キリングによせて』」の表題の、昨日付の山梨日日新聞の投稿記事。本当に?という思いが残るが、死刑実行や戦争での実行と同様に「適法」と


20140423
 「その人の性格」と呼んでいるもののほとんどすべては、「その人の性質」と呼んだ方が、より適切である。

 基本的にはすべて「自分から見て」との条件の元で、


20140419-2
 家族などのためにも、であっても、そのためにも、自分自身ができる限り質の高い−ないし強い−幸福を得て生きることが必要とされており、


20140419-1
 中でも一番素敵な人たち(一人でもいいけれど、一人では大抵実現しがたい)は現実にも居て、できればできる限りいつも近くに居たいという思いないし意思は、


20140417
 相対的なものではあっても、人生の中でお金を優先させるか−この文脈ではそれは結局、経済及び経営を優先させるかということだが−、友人たち(一人でもよい)への人間としての−自分自身が保持する−信頼を優先させるかの選択の場面は、


20140412
 「思いは実現する。」あるいは「物事は、ないし人生は、心に描いたとおりのものになる。」という言葉の(認識の)実践的な意味(つまり、幸福の質の高低ないし強弱に関わるその言葉の内容の要素)は、その言葉の前段は、実践的には、「どのように(何の様に)」の(再構成把握)残像の再構成把握に基本的に基づいてその思いないし心の意思化と実践化に取り組んでいくと、ということを意味していると把握でき、そうであれば、


20140404-3
 2014年3月31日ノートの続きとして、自分自身に関わるその差異の意識の意思化は、皆が素敵(である)というような現実やその再構成把握された残像を、


20140404-2
 Cuore (Heart), by Ednondo De Amicis
 (「クオレ(心)」−イタリア語からの英語訳版)

 FRIENDS AMONG THE WORKINGMEN. APRIL.Thursday, 20th.
 (・・・)
 から、何回読み返しても本当に美しいと思える言葉と、「本当に?そう、なの?それでいいの?」と感じてしまう部分について。


20140404-1
 経営計画の中に、また、認識と技術としての経営技術の中に、「相対的に安定的で大規模な(国や多国籍企業などを筆頭とする)経営組織に属して、(物質的な強制力をも伴うありようでのその全体の、あるいは大多数者の取決めを形成するための取組みという−大雑把な−意味での)「政治」的に多数者に属し、(率先してその行動をしているという意味での)その、政治的多数者に属するようになるように「リーダーシップ」を取れるという方向に、


20140331
 3月10日付ノートへの追記的に、幸福の質の高さの観点からの、より良いものとの「差異の意識の意思化」(現実を、その差異が意識できるより良いもの−現実であれ、再構成把握された現実の残像であれ−に近づけようという意思にする、というようなこと)、は、


20140310
 「意思の実践化」という言葉を使うことによって、その過程が−そのような言葉で言い表せる過程が−、場合によってはとても大きな力や時間を要することにもなる、怒りその他いろんなつらいことや下らない快適さなどと


20140309
 意思と実践との間には、「意思の実践化」という(ような言葉で言い表せるような)取組みが要ることが、ようやく、分かってきました。

 意思決定などの言葉は広く一般的に使われている言葉ですが、意思の実践化というような言葉は、


20140308
 Cuore (Heart), by Ednondo De Amicis への外部リンクを、Home −左フレーム欄・「外部リンク2」の中に掲示させていただきました。

 何度読んでも本当に美しいと強く感じられる部分の詰まった作品だと思うのですが、


20140302
 この日本の現在についての認識で、重要なことと思われるため、過去のこの運営ノートの記事への追加事項ですが、20140201付けの記事に、「我が国の資産保有の実態と資産活用プラン」という外部サイトの記事 (2008年の調査報告書) へのリンクを


20140211
 (実践的に) 人間の身体の"存在"と"行動"はそれぞれ相対的なものと把握できる。人間の心の"存在"と"行動"もそれぞれ相対的なものと把握できる。

 "束の間の幸福の輝き" と "持続する幸福の輝き" も、それぞれ相対的なものと把握可能である。そのように把握して、


20140202
 とても、とても、とても困難なことなのだけれど、下層の人々自身の直接的経済的取組への支援を通してその人々の取組が有効なものになることを通してでしか−そのような取組を通して以外には−有効な取組としてその人々の意見が政治的多数者になることは


20140201
 Home − メインメニュー −現在の業務関連特記情報(1)〜(6) − (6)「経営計画作成実行上での経営連関表の作成活用方法と、関連する産業連関表(国・地域等)・国民経済計算(表)」 − 「1-1 経営連関表作成方法基本メモ」の中に、


20140125
 自分自身にとっての古典的・亀鑑的な作品と把握できる小説作品は、すべて、"幸福についての物語" であると言える。この言葉−「幸福についての物語」−は、


20140124
 現実の作品で、固定的でまた一瞬的なもの−絵・写真・彫像・(人間の作品とは言えないのかもしれない)身近な植物、など−と、これに対して、現実の作品で、


20140108
 以下を要約して書くと、「実践的に、継続的に(つまり、常に)肝心なのは、状況そのものの選択よりも、衰えやその意識をも含む自身の感覚や感受性の豊かさへの選択の方である。−あるいは、


20131231
 政治 (すなわち社会を治める取組) は、今日何より立法 (法律を作り、また、変えること) が最も基本的な課題である、と把握できる。特に、資産格差の拡大化が顕著な社会の中での子供たちへの貧困の連鎖と


20131230
 最も高い幸福の質は、そこにマイナスの要素が在っても、その残像を含めて、生身の人間の姿形や声をしている(そのために世界が−たとえばバラの花とか、食べるものなどが−要るにしても)


20131228-2
  Home − 「サイト内全情報の概要」のリンク先ページの中に、「参考:*2)」として、次の言葉を加入しました。

 『以上の、「なぜ?」と「本当に?」との、−私にはとても重要と思われる−問いに関わって、私の職業上の仕事の基本的分野の一つである裁判手続で、ある裁判官の言葉として雑誌の記事に紹介されていた印象深い言葉


20131228-1
 実践的意識(ここでは、なんらかの実践・取組によって幸福の質の観点からの体験の質をできればその全体的なものをよりよいものにしたい、という意識)は、


20131208-2
 自分では、フェイスブック(facebook)の活用方法は、ほとんどまったく分からないのですが、フェイスブックでの五つの最も重要なこと(Facebook's Five Core Values)、と述べられているものは、実践のうえでとても役に立つので、


20131208-1
 話すこと・語ること(一まとまりの話をすること)によって、その人の感受性を表現しているものでもあるその人の体験の(再構成把握しているものを含む)残像の内容を把握できることが少なくなく


20131124-2
 「学びと感動が人を変える−塀の中の中学校 桐分校」の新聞記事


20131124-1
 「再構成把握残像の再構成把握」からそれだけでなくさらに「再構成把握残像の再構成現実化把握」への取り組みの選択を、おそらく何よりそれに適う自分の精神ないし心 (という言葉で把握できるもの) と身体への取り組みの選択を通して、していくこと。
 自分の精神も身体もいずれも、有効な−自身の実践的な意識の−取り組みの対象でありえ


20131122
 おそらく一番簡単な経営連関表(造語)は、自社会計の1年間の決算書数値から、自社(経営組織)の供給商品(とういべきもの。言い換えると供給する仕事)の、「有効供給(というべきもの)=有効需要」となる取引(契約)が成立した(つまり売上が計上された)対象地域の、


20131117
 美しいという対象や体験と、愛せるという対象や体験について、あらためて検討して、美しいとは、その体験や対象が−残像としてであっても−感覚に快く訴えかけてくるということ(「類語国語辞典−角川学芸出版」)、と


20131111
 「日本標準産業分類−中・・小・細分類」のある外部リンクページを、サイトマップ−V(6)「経営連関表・産業連関表・国民経済計算(表)等」に関係する項目−「6−5」に掲載。その最小単位が就業者各個人である各経営組織の


20131031
 物語又は言葉を近似値とする、感覚や感情やそれら感覚・感情の対象や


20130928
 質の高い幸福の体験と、残像と、予見、幸運と悲運


20130816
 『自衛隊の行く道に熟慮を』- 「国際貢献はサンダーバードのように」 をテーマにした新聞記事が、山梨日日新聞、本日号、暮らし欄に載っていた。


20130526
 人の話しを、その内容だけでなく、その人の行動としての話しである、として


20130430
 人間として成長するということ−全面的に人間らしい人間になるということ−と、みんなのより幸福な質の人生のために役立つということと、自分自身の


20130406
 人生と、経済について。さらに、経営について。経済は、すべての人にとってのその人生の幸福の質の


20130330-2
 経済的取組(つまり経営)の出発点の認識について

20130330-1
 美しいという性質、 また、やさしいという性質は、それぞれ、生まれつきのものであるとともに、


20130309
 認識(それも、基本的には有益と考えられる法則性の認識)に基づいて実践(取り組み)はなされるべきだが、


20121230
 体験の中の感情の部分を、分かち合えるように取り組んでいくこと(celebrateしていくこと)、−それも何よりも、(声に出して話すことや歌うことや演奏することなどを含む)振る舞いや、言葉に書くことや、わずかでも美術や音楽作品に書くことなどの


20121202
 「人は生涯に稼いだ所得にほぼ近い消費をするので、消費税はおおむね所得に比例的だ。消費税収は社会保障給付に充てるから、


20121122
 日本維新の会代表、石原慎太郎氏の、11月20日日本外国人特派員協会講演での発言−「日本は核兵器に関するシミュレーションぐらいやったらいい。これが一つの抑止力になるだろう


20121019
 経営組織と政府メモ


20120921
 「人間がどのような死に方をするかには意味がある。」(2012年8月20日シリアでの取材中銃撃されて殺されたジャーナリスト、山本美香さんの認識


20120902
 「何よりも人間という運命に対して弱い人間に対して、どんなにわずかでも実際には何の力にもなれなくてもできればかばえるように」と思って生きていこうとしているのか、


20120805
 認識とは、常にその時現在把握されている法則性の記憶(すなわち、再構成把握されいてる残像、ないしされるべき残像)である、そして意味も、基本的に認識である、という


20120701
 消費税税制は、事業経営活動の取組の観点から、


20120612
 「当面、とりあえず国内のものであっても、またその国内のものという限定が現在の限界としてあるうえにさらにその中での地域差での統計結果を取り込むこともより一層困難であってその限界もあるにしても、標準産業分類表と産業連関表(5年毎の時系列のものを含む)とそれらの中の各人口の統計などに基づく、


20120418
 質とは、差異のこと。質の高さ低さも、質の一つであり、


20120408
 認識も記憶の一種かもしれないが (ここでの「記憶」とは、現在の体験の中に把握できている、過去の体験の中の出来事[ないし過去の体験における意識ないし感覚の対象]の、再構成[把握]残像だと言いうるもののことだが)、


20120204
 「行動によって把握される心・精神、を中軸とした人間の美しさの、欠如・欠乏からの


20120101
 できる限り最良の「思い」は、できる限り最良の体験の再構成把握残像の、


20111210
 楽しいとは、幸福とはと言ってもいい、体験の身近なものの中に


20111203
 この体験の中の、人間のすごく美しい部分だけから構成されるような


20111018
 自分にとってのすべての時をその質の向上のための取組みにすべきであるくらいの、視覚に関わる


20110817
 作品の把握などによる質の向上化への取り組みと、その中での生の幸福感そのものの中に存在してるかのように感じられる息苦しさや


20110717
 全面的・全点的に人間らしい人間に成長するように恒常的に努力の選択などの取組を継続していくことは、


20110625-2
 自らの死は、他者の死の再構成把握残像の再構成把握のありようとしてでしか把握できないもの


20110625
 それをできなくさせる障害を持っているのではないすべての人が、自分の人生の数十年にわたる意識的な


20110501-2
 新しい言葉の意味を一つ把握することは、基本的に、体験の中に存在した (現に存在することを含む) ほんの少しのないしごくかすかな、でもの


20110501-1
 経済的な側面に限ってみれば、経営は、経営組織を通じての個々人の (税務で規定しているような意味での) 所得への取組活動 (但し、より正確にはその中での経営組織そのものを維持させていくことを中軸とした取組活動) であり、政治は、


20110320
 経営は、その出発点は、各自の生活の糧(衣食住等が可能になる-またできればより質高く、でのそれの-ための物質的対象)の確保のための活動であるが、


20110103
 いつでも、そのそれぞれの時点からの時間において、「何かをじっと見ていると、非常に美しいものに見えてくる」ようにすると決めてそうしていると、


20101201
 「人間の旬」と名付けることができるような、共通的な状態は、


20100829-2
 記憶は、体験の中の(再構成して把握される)残像を、体験の中へ再構成して把握できる可能性であり、情報は、


20100829
 各人から見て、人間のいいところで取り入れ可能なものの取り入れが、全面的・全点的人間らしさの実現の一つ一つ。


20100501
 会社、つまり経営組織を経営する人の、その経営組織を大きくするということの、各自の人生の中での位置付けについて


20100430
 束の間のものだけではないような、恒常的な生、ないし体験の、


20100203
 「『人間として正しいかどうか(あるいは人間として--その時、その場所で--何が正しいか)』という基準は、経営上の重要な、


20100130
 創意工夫の具体的な進め方の一つ


20091121
 生きているこの世界の、いずれかに、とても--うっとりするくらいに、どうにもならないような苦痛やつらさも


20091120
 本屋さんに来る人たちは、相対的に、その時かぎりの--基本的には各自にとってたぶん質が高くはない--ものより、


20091109
 再構成残像 (視覚的なそれだけでなく、聴覚的な余韻とか、さまざまな感覚的な体験の質の複合体的なものでもあると考えられる感情ないし情動的な質の、その名残のようなものも、この言葉の意味に含めてのそれ) の把握は、


20090820
 残像・残映・余韻・名残やそれらの再構成などとしてはいくつでも把握できる、とも把握できる忘れてしまいたいことに直面した場合に、


20090818
 「喜びは(幸福は)過去の試練をもはや勘定に入れないものだ。」


20090812
 『月が欲しくなっても(幸福が欲しくなっても)顔を赤らめてはいけない


20090809
 『人間は互いに--何がその人にとってより幸福なのかを--認識しあい、幸福を与え合うために生れてきた。・・・』


20090719
 「“喜びは、自分を忘れることにあるのだ”と。」 [これについては当初、


20090329
 「多くの人にとって、さらにできればすべての人にとってわかりやすい」より高い質の幸福を獲得し体験していく、という


20090316
 数量も質の一種なのだと、言えないか?


20090222-1
 「(勤務・起業・)経営技術」の、いつも中心的な要素として把握されて実践されるべきものは、一見技術とは矛盾しているように見えるが、


20090222-2
 終局的に経営技術がその終着点として目指されるべきものである「就勤務・起業・経営技術」での、経営とは、


20090222-3
 経営者が、社員を育てることは、(司法書士、行政書士の仕事の観点から特に)その経営組織の後継者を育てることと同時的に


20090118
 幸福に生きる(それもできる限り高い質のものを確保して生きる)という場合の、その幸福の質という観点から、体験の中の「精神的・心的な質」の高さ(質が高いと−また、低い、と−体験されること)は、


20090104
 少なくとも人の一生のうちで、同じ時間と状況は二度とない、ということは、一見、とてもよりよく変動させることなど不可能に見える部分であっても、少なくとも、よりよく変動させうるために有効な法則性を見出すことはできないと判断することは、できないということ。


20081230
 人生の根本的状況は、「二度と同じ場所には戻れない四つ辻に常に居る」という状況なのだが、幸福に生きている時間は、


20081220
 生活のできる限りすべてを、自身にとっての好みの、人間の古典的作品の部分に連ね、その部分を活かし、可能な選択をし、形成していく、


20081130
 感情や感覚のすべてを含む刻々の体験の意識の、恒常的なありようの総体が、幸福の質の基本的な高度を表している、とは


20081124
 「探索」というよりむしろ「おさらい」だが、エピクロス(ディオゲネス・ラエルティオス著、加来彰俊訳、岩波文庫、『ギリシャ哲学者列伝・下・第10巻・「エピクロス」』)などが生きた西暦紀元直前頃のギリシャの時代に哲学の主要テーマであったといわれる、「幸福に生きる」


20081115
 イトマップ-V.-トピックス(当事務所選-日本での基本的に法制度に関するもの)-に、「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」、「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律」の要点を加入し、その他、


20081113
 発点は、幸福、それもよりよい質の幸福、それを思い浮かべるところからだが、結局それは、


20080504-2
 軍備で戦争を予防することはできておらず、また、同様に


20080504-1
 現在の体験の意味を考えることは、一番幸福だった時ないし体験のイメージないし記憶などないしそれらの名残と照合することと


20080312
 特に実践的に、想像的(想像し、またされ、またしようとする)イメージ環境過程は、現実的・物質的環境過程の、なんからのありようでの身体的(という現実的・物質的)な再構成環境過程なのではないか、とも思われる。その環境過程間の相互区分は


20080226
 話され、示され、書かれる言葉も、同じく数も、同じく数式も、そのような機械化の一部といえるかもしれない。各自の身体からの相対的独立性の質は異なるにせよ。但し、これについては、


20080224
 ある事象に関する法則性の認識の高さないし深さは、その時点までの、その事象についての法則性の認識の高さないし深さを前提とする技術的手段を前提として、とくに機械化(同時に共有化)が可能な技術的手段を前提として、初めて


20071213
 「つらさ(つらいそのありよう)」とは、実践的に、何より、期待しない肉体的苦痛が生じること、その他期待に添えないこと、のその度合いが、激しいものであるときの、その意識。 「悲しみ」とは、実践的に、その中に含まれる喜びないし快さを、


20071125
 心ないし意識の人間的な豊かさ(複合体としての質の高さと、その高い質の密度の濃さ)は、意識的なその獲得への実践の成果でもあるけれど、そして、相互的なものでもあるけれど、


20071124
 今日の、山梨日日新聞に、フェルメール「牛乳を注ぐ女」に関しての、小林頼子さんという方(目白大教授)の解説記事があり、「写実とは、現実に基づいて、現実よりも現実的なものを作ること」というような趣旨の記述があった。しかし、その「現実的なもの」とは、何か。実践的に、


20071117
 人生の成果として獲得していくべきさまざまな、ないし可能な幸福の、源泉となる対象の本質的属性としての


20071028
  「人生の根本的状況は、二度と同じ四つ辻には戻り得ない四つ辻に、常に立っているという状況だ。」(ポール・ニザン、鈴木道彦訳、『陰謀』(晶文社他)から。)苦痛と絶望のどん底に居る時にも。幸福の絶頂に居るときにも。


20070922
 認識と記憶について、--特に体験の中の、幸福感の(その逆の方のものではないものの)認識と記憶--について


20070623
 個人の経済的富裕度と、属する階層としての経済的富裕度について、「その(-いわゆる経済的な)」(「富裕度の高さ」の選択と体験と制作の上で有益な、共通的な)基本的法則性を把握し、表現すると


20070422-3
 「偉い人」とは、(人間としての、と、ここで言っていいかどうか不明だが)地位や身分や能力が自分で高いないし優れていると思っている人、ないしそのように自分で感じている人のこと。「立派な人」とは、地位や身分などにかかわりなく、人間として尊敬できる人のこと。---一応の定義として。 夏目漱石が、友人達と考えていた後輩達に、


20070422-2
 JANJANの記事--『ビデオが語る沖縄教科書検定問題の真実〜「集団自決」の軍関与否定の背景 2007/04/15 』から。『集団自決のあったときのことを金城さんは次のように


20070422
 「人生は、人が自らそれに意味(なんらかの喜びないし幸福の質)を課そうとしない限り、意味を持ちえません。」と語っていたニザンの言葉(括弧部分は自分での解釈部分)を含めて、体験と感性の質(ないしその質としてのその高さ)である幸福とは、少なくとも自身にとっての最良の、


20070415
 体験と感性の質の、過去の最良のもの以上のものを獲得していくためには、今の時点で


20070407
 「尊厳死ではなく、満足死、あるいは納得死との言葉を使うべきだろう。」(数日前の新聞記事から)。さらに、


20070330
 リンク情報に、「ひまわり(山梨県山梨市 社会福祉法人いずみ会 障害乳幼児通園施設)」へのリンク


20070217
 隣人たちから煩わされる心配がないようにする力を最も多くそなえている人たちは誰もみな、そうすることで、最も確固とした(安心の)保証を得ているがゆえに、互いに他の者との最も楽しい生活を送ることになるのだ。そして彼らは、

20070108-1
  人間の古典的作品(一人一人にとっての人間の最良の作品)に接することによって得られる何よりその友情のような要素は、


20070107
  「赤は非常にやさしく、心を慰める色です。」という言葉について、


20070106-2
 残像と、残像及びその記憶の再起(再喚起)と、現実化しうる要素を持つ想像について、


20070106
 肝心なのは、武力はもちろん権力なのでさえもなく、個々人の権利 (さらにいえば何よりもその幸福追求権) と、


20070101
 権利と権限と民主主義と法律、また、戦争・軍隊・武力と人間による人間の殺戮・抑圧について、


20061219
 人間の古典的作品にかかわるものとして、情態 (すなわち、生の体験を、一応、


20061111
 対象面と主体面でのそれ、というより、意匠と自然とに関わるそれと考えるべきなのではないか。


20061105
 その時の一応の密度が、そしてそれまでの一応の密度の総体が、


20061103
 物語を紡ぐことと、見通しを持つことは同じことであるべきだと考えられ、


20061024
 方法としての倫理として肝心なのは、どういう人間だったかを確認することだけでなく、


20060824
 人間の古典的作品を観賞すること(読むことほか)によって得られる幸福の質の獲得と、そのイメージの一つ一つは、


20060815
 一人一人が世の中の平和を実現させるそして一人一人の幸福を確保する力を持つ、そういう人間を実現させる過程に、


20060717
 苦痛、喜び、生、死、倫理(ないし哲学)に関する、ニザンとエピクロスの言葉の再録


20060714
 苦痛、不快感などの身体的、精神的パリエーション、とくに、どうにもならない、どうにもできがたい苦しさ、それらを、


20060712
 自身の身体と精神の中に恒常的に感じられる志向性を前提にして、


20060528
 可能性がないわけではないこと、また、絶対的な不可能性があるわけでもないことの確認のうえで、


20060401
 (1) ひとつの認識として、精神は身体の実践的態様である。


20060202
  職の仕事をとおして、その仕事の成果としての収入を得ていくことが必要である理由は、


20051220
 幸福を獲得していくために私たちに可能なことは、


20051125
 それとたたかったりそれを活用したりして、運命から勝ち取るべきものは、何よりみんなあるいは多くの人の幸福にとっても役立つような幸福、ないしそれによってできるだけみんなが幸福を獲得できるようなその対象ないし美しさ。美しさは、何よりつらい思いをしている人たちを含めて、


20050911
 より、最もつらい思いをして生きている人への必要な援助--なにもできないかもしれない、しかし


20050829
 情報としての人間、ないし情報の集積としての人間として、ではなく、


20050828
 経営と、「生身の人間としての人生の中で他の意味のあること」との「関係ないし兼ね合い」


20050723
 学習と提起のための、課題テーマ(5) 「抵抗権の行使との関係での=『反暴力=反戦争=反人権抑圧法規』の活動としての」、軍隊を捨てた国を含む


20050716
 学習と提起のための、課題テーマ(1) 「抵抗権の行使との関係での


20050714
 端的に幸福のあるいはその充実の獲得というような課題上で、


20050703
 たとえば古典的な作品を最良の手がかりにして、心の中に常に「現に=実際に」この世界の中でともかく


20050624(1)
 誰でも、錯覚から真に目覚める瞬間に(=可能な限り意識の奥底というようなところまで、体験や体験した出来事を検討すれば)


20050624(2)
 共通のたたかいは、各人の人生の中で求めるものの絶対値的な要素を含むべきもの


20050617
 サンテグジュペリの有名な作品『星の王子様』(内藤濯訳、岩波書店版)の中の、ではなく、同じ作者の'古典的な'といえる


20050615
 しかし、それも、それがなくては幸福とは感じられないようなもの、言いかえれば、


20050614
 たとえば古典的作品としてのある詩句や俳句や短歌を「暗誦=あんしょう」できるように記憶できたことで、


20050612
 ただし、人間の古典的作品ないしその中の人間にあるのは「モデル=例=亀鑑=きかん」であって、現実の個々人の実際の具体的な課題を


20050611
 人間の古典的作品は、それとの、あるいはその中の人間との対話を維持・継続していくことを通して、


20050610
 そして、かすかなものでも、そのような「夢=ファンタジ-=幻=イリュージョン」あるいは可能性あるいは印象あるいは予感などへの、


  20050609(2)
 現実の一部分としての「夢=幻」の部分は、


20050609(1)
 時は (生は) いつも、何より一人一人のそれぞれの特別の幸福のためのもの


20050608
 私たちが新しく作っていく世界、ないしそのような世界を作っていこうとする意志ないし努力の中でこそ


20050606
 「障害者自立支援法」の問題点


20050522(1)
 過去の現実を 「夢見る力=想像する力」を、ではなく、



20050522(2)
 専門的技術力の向上・蓄積と、その方向性


20050516
 人生での、一定の獲得すべき金銭的目標を持つことの、実践的・技術的な有効性


20050504
 課題は、どうにもならないような受け入れがたい部分をどうこうするというのではなくて


20050503
 思考は、身体の運動と感性にも影響を与え、一方、身体の運動(静止するなど姿勢の保持の運動も含み、また、見る、聞く、食べるなどの運動を含む


20050420
 歴史とは、生きられた一人一人の人生の物語の集合体。


20050319
 「しかしながらどんなに濃い幻でも瞬間の現実の価値はないのである。」


20050308(1)
 平和とは、
 特定又は一定の人間による、他の特定あるいは一定の人間への、組織的なものを含む意識的暴力が行使されるということが


20050308(2)
 今日、経済とは (つまりは経済的豊かさとは) 、
 基本的・実践的には、いかに各人が、自身にとってよりよい就職 (職の仕事の獲得) をし


20050305(1)
 それでも、つねに「精神労働」(←→「肉体労働」)が先導して「持ちこたえていく」たたかいという要素


20050305(2)
 「愛しえる対象」というしるしの意味、そしてそれと「美しい」というしるしの意味


20050301
 本当に美しい時や世界の持続は無理だとしても


20050227
 現在しるす(=記す=著す=標す=徴す・・)こと、ノートすることができること。
 見いだすことや出会うことや創造することは


20050108(1)
 行動 (行為) としての待つことを除いては、待っているだけではそれ以上 (成り行き以上) には


20050108(2)
 運命と呼ぶことのできるものから人が勝ち取るものとしての


20050108(3)
 創造し実現させていくこと、そのために必要で有効な何かを得ること、さらにはそれらのために必要で有効な法則性を認識すること (学ぶこと) の原点・出発点として


20050108(4)
 幸福・美しさ・愛しうる対象の充実は、おそらく体験の中の−何らかの目的意識からみた事実としての−情報や、情報の一つもである認識や、認識の一つでもありうる技術などとは異なる


20050108(5)
 幸福とその充実は、一人一人の人生の物語の-出来事としての体験-の中に存在するものであり、しうるもの


20050108(6)
 「小説とは、何よりも認識の一手段である」


20050108(7)
 最も美しい時の思い出、最も美しい物語の思い出 (というおそらくそれぞれが機会・チャンス・可能性であったもの) なども、すべて
 

20050108(8)
 「なぜ?」と問うのは、基本的には、実践的に有益な法則性を「見出す=創造する=想像する=獲得する」ため。そして


20050108(9)
 認識とその活用可能性の観点から、必然性=偶然性。法則性は、それらの共通の反意語


20050108(10)
 「絶望をとなえてはならない。目前の許しがたい世界に目を奪われてはならない。運命を変えたいと思う人びとの、行動と怒りに含まれる」


20050108(11)
 基本的には、「身体(全体)はごく僅かのものしか必要としない」


20050108(12)
 「エピクロスは愛には厳しいが、友情はこれを賛美している。愛他主義はまったくない。


20050108(13)
 政治的方法の一種としての民主主義の方法論としての、「多数意見の尊重と同時的な少数意見の留保」という方法


20050108(14)
 社会の中で他者に対する物質的・破壊的な力の行使は、抵抗権の行使としてのものを越える場合には暴力となる


20050108(15)
 西暦(キリスト紀元歴)19450806の午前8時15分。


20050108(16)
 20040609のラジオニュース「ドイツで徴兵忌避者が50%をこえる。」


20050108(17)
 戦争をなくすこと(減少させること)、暴力をなくすこと、大多数の人間の仕事の成果としての経済的財産に対する一部の人間の偏有をなくすこと、などはいずれも


20050108(18)
 子が、親の愛情を要求できるのは、


20050108(19)
 「子供時代(6歳から18歳くらい)の倫理」・「大人時代の倫理」・「 (親に対する) 子の倫理」・「 (子に対する) 親の倫理 (何よりも子が不機嫌さを表示したり八つ当たりするようなときにも


20050108(20)
 倫理とは、正当性の法則性の認識というよりはむしろ不当性の忌避についての


20050108(21)
 「富(財とサービス)」の、偏有から遍有への促進は、


20050108(22)
 永遠は、何よりも


20050108(23)
 一番つらいのは、最も幸福だった時と世界の


20050108(24)
 時と世界は、一人一人の物語の中に


20050108(25)
 高望みは、それ自体が幸福の物語の


20050108(26)
 特に体験の判断に基づく認識の、人生での位置づけ


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